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「好きこそものの上手なれ」~医師の多彩なキャリアを探る~(1/2)

  • 著者:波田真友子 (大阪医科大学3年)
  • 投稿日:
  • インタビュアー名:INOSHIRU運営メンバー
  • 派遣先機関:-
  • 留学目的:-

様々な分野で活躍されている方のお話を伺ってきたINOSHIRUインタビュー。今回は、アメリカサウジアラビアフランスと3つの国、そして航空業界での医師経験(?!)もお持ちの、木戸友幸先生にインタビューさせていただきました!
そのあまりにもカラフルな経歴はいったいどうして生まれてきたのか、その背景にあった木戸先生の思いとは何だったのか?INOSHIRUメンバー4人との会話の中から、皆さんの今後のキャリアにつながるヒントが見えてくるかもしれません。

INOSHIRU運営メンバー
波田:木戸先生本日はよろしくお願いいたします。私は常々から木戸先生のブログを読ませていただいていて、大ファンで、、!こうしてインタビューさせていただけるなんて光栄です!
木戸友幸
波田さんからメールをもらったときはやっぱり嬉しかったです。僕も、全国の誰か、こういうことに興味を持ってくれている特に若い人が読んでくれたらいいのになっていう気持ちでどれも書いてるから。見ててわかるかもしれないけど、一番力を入れて描いてるのはDr.木戸の異文化交流コミュニケーションっていうコーナー。同級生のK君の言葉がきっかけで始めたんです。「木戸君、君はもう何十年も前のこと忘れてると思ってるだろう。だけどそんなことないんだよ。記憶というのはどっかに残っていて、何か周辺のことを色々自分で書いたり思い出したりしていると、かなり細かいところまで記憶ってのは奥の方から出てくれるんだよ。」って、記憶力大王でもあった彼に言われたもんで、そのようにしてみたら本当にそうなの。何か断片的なことを覚えてて、そっからその周辺でもう1人の誰かがこんなこと言ってたっていうような記憶が戻ってきて、っていうそういう方式であのブログは書いてるんです。
INOSHIRU運営メンバー
波田:なるほど。大学時代の細かい話まで書かれているあのブログにはそんな裏話があったんですね!では、ここからは木戸先生に色々質問させていただきたいのですが、まず木戸先生の自分史のようなものからお話いただけますでしょうか。
木戸友幸
僕の海外志向っていうのはね、やっぱり学生の時から始まってるかな。学生の時からもうあったのは、やっぱり卒業してから、特にアメリカで臨床のレジデントをやりたいっていうことがあってそのためには、色々学生の間にできる、ヨーロッパとかアメリカとかそういうところの旅行をはじめとしたそういう体験をしてみたいと思ってね。
だけど結局、大学生の時はねアメリカに行くチャンスは全然なくてね、ハワイには一回か二回、何か遊びで行ったことあるけど、結構その時はねヨーロッパが中心だったの。その当時の大阪医大は2年生から3年生の春休みっていうのは非常に長くてね。それでみんななんかもう遊びまわってたんだけど、やっぱり僕はその時間を自分の将来に活かしたいなっていうので、まず最初に行ったのが、ヨーロッパを鉄道で回るツアー。1ヶ月とかすごく安い値段で買える学生用のチケットがあったの。ロンドンにまずついて、そっから全く自分で予定を立てて、最後はパリに着くっていう、今で言うバックパック旅行みたいな感じかな。それがすごく楽しくてね。
当時、英語学校YMCAというのに大学1年生から3年間通ってたから、英語は不便なことは無い程度にはなってたんだけど、英語では通じない国っていうのがその当時結構あって、その代表格の一つがフランスだったの。そこからねフランス語を勉強したら結構役に立つかもしれないって思うようになって、フランス語をやり始めたの。これまた週に3回、解剖の実習を終わらせたからその足で習いに行ってね。
INOSHIRU運営メンバー
波田:週に3回!いつまで続けられたんですか?
木戸友幸
一区切りついたのは5回生の時だったね。5年生の夏休みに、やっぱり今度はまともなフランス語にしたいってことだね、当時のフランスでは、夏期講座っていうのをいろんな大学院で外国人に解放しててね、僕はグルノーブルっていうところの夏期講座を選んで、ドイツ人とかベネズエラ人とかと一緒にフランス語を一ヶ月間勉強したんです。本当にあれは行ってよかったと思いますね。もう、学生時代の異文化体験。
INOSHIRU運営メンバー
波田:私たちの世代はそういった経験を学生時代に体験できないまま卒業することになるのかな、なんて思うとすごく羨ましいです!笑
木戸友幸
自分のやる気が無いとか、そこまで何か実力が届かないからとか何かそういうまともな理由じゃ無い理由で一年以上も海外にいけないっていうのはやっぱり辛いよね。でもやっぱり学生のうちに見に行くのと、大人になってからだと、振り返ってみたら全然違うと思います。
学生の時っていうのは、やっぱりまだいろんな考え方とか、方針とか全く固まってない時期でしょう。そういう時にね、これこれこうしたいからここに行ってこういうことを学ぼうとか、こういう旅行をしようとか、漠然とはそう決めていくわけだけど、それが将来何か自分の本当にすごい武器になるとか、そんなことまで考えてないし考えようが無いわけです。だからアットランダムに学生のうちにいろんな体験をするべきだと思いますね
INOSHIRU運営メンバー
波田:キャリアっていうのは今回のテーマの一つだと思うんですけど、木戸先生の中で、キャリアっていうのは、若いうちからある程度がっちり自分の中で設計してこれをするためには、フランス語を話せるようにならなきゃいけない、とかなんかそういう感じで進めていくものなのかなっていうふうに思っていたので、今のお話が聞けてすごく心が軽くなった気がします。
木戸友幸
それはね確かにね、そんなふうに考えた方がいいのかなって僕も学生時代に思った時期はあったんだけどね、世の中そんなうまくはいかないだろうなっていうことでね。それだったら何でももう今興味のあること、今しかできないことを少々無理してでもやったらできるんじゃないかって思ってね。今振り返って考えてみたら、僕も学生時代結構頑張ってたんだみたいな感じで自分をこう褒めてやりたい頭を撫ででやりたいみたいな感じになるんだけどね。
大学一年生の教養のときはたいしてやることも無くて、みんなは遊びまわってて、でもそんなことするくらいだったら、週3回英語学校通ったら少なくとも英語はある程度できるようになるだろう。まずそう考えて、次にヨーロッパ旅行してみたら英語だけではちょっと物足りないかなというので、フランス語を習ってみたり。そんな感じでね、別にそれで何かしようと思ったわけでも無いんだけども、結局そこから後の人生見てみたら、結構英語もフランス語も役に立ってるし、一応キャリアにも繋がってるのね。だから人生そんなもんかなって思ってね。計画をきっちり立てすぎたらそれが大体どんな計画でもね、5割を超えて成功することは僕の感覚では無いね。
自分が立てた計画とかスケジュールっていうのはね、野球の割と良いバッターの打率と同じように3割達成できたらね大万歳だと思うんです
INOSHIRU運営メンバー
服部:響きます。今成功率5割無いと思うというお話がありましたけど、何か先生は学生時代にキャリアを描かれたりはしてたんですか。
木戸友幸
キャリアを描くとかいうそんな計画的なことじゃなくてなんとなくぼんやりは考えてたね。
僕今でも覚えてるけどね、高校の時から自分の最寄りの阪急電車の駅まで、歩いて15分くらいの距離を自転車で通ってて、まあ一応自転車だから5、6分で行き来できるんだけどその時にね、高校の時は、どこの大学に僕は入るんだろうとか考えて、大学に行き始めてからは、医師になったらどういうことをしたら良いのかっていうことをね、朝はちょっとバタバタしてるだけだから帰ってくるときはね必ずその5分間、別に考えようとしてたわけじゃ無いけどそういうことを考えてたね。
僕が医学生の時に人生を考えたのは毎日のその5分くらいだからね。もうはっきり言って、こんなことがしたいとかあんなことがしたいとか、そんな程度の人生計画ですよ。結構それがね、ほぼほぼそのままに行ったって言ったらちょっと言い過ぎかな、でもそれに近い形で実現できてるんだよね。昨日こんなことを考えてたけどやっぱり具体的にはこんなことをしたいみたいなことをね次の日には考えるようになるしね、結果として割とまとまった何か、ぼんやりとはしているけども人生計画みたいなものが6年間でできたのかなと思うんだけどね。今一番やりたいプランA、それがうまくいかなかった時のプランB、二つともダメだった時のプランCくらいまではぼんやりで良いから考えておいたら、ちょっと何か役に立つかもわからないよ
INOSHIRU運営メンバー
波田:なるほど、プランCまで、考え始めたいと思います。先生から見られても、今の学生は色々と不自由だなと思われますか。
木戸友幸
僕が卒業した1977年からはもう40年以上経ってるわけでしょう。だからやっぱりいろんなシステムがかなり複雑になってきてて、僕らの時代よりもずっと自由は利かなくなってると思うのね。だけど逆の場合もある。僕らの時っていうのはね、卒業したら全国の医学生の8割くらいが、自分の卒業した大学の医局に残ってその当時も2年間の初期研修みたいなものはあったんだけども、結構独自のいろんな指導法を持ってて、そんな広く浅く学ぶっていう今の体制というのは全く無かったのね。
だからそういう意味ではね、今の方が選択肢はあるわけ。研修する場所とか、研修方法とかそういうことでは、昔より今の方が自由だよね。
INOSHIRU運営メンバー
波田:確かにそうですね。木戸先生は研修を終わらせてからすぐブルックリンに行かれたんですか?
木戸友幸
そうそうそれにも面白い話があってね。僕もアメリカに留学したくて、当時はもうタイプライターしかないからタイプライターで依頼の手紙を書いて、コピーは絶対もう印象が悪いから使うなということで、1枚撮って、それこそもう100通くらい出したんだけど、インタビューはもう外国人にはしないことに決めていますので、って言われてね、さすがの僕ももう諦めかけてたところに当時の厚生省の臨床指導医留学っていうのが、もう予算が決まったのに、試験が難しくなったので行ける資格のある人がいなくなっちゃって、役人がすごく困ってるっていちっちゃい記事が新聞に載ってたの。それを僕が見つけたんじゃなくて、面白いのが、もう10年前に亡くなったうちの母がね、ともゆき面白い記事が出てるわよ、みたいな感じでね教えてくれてね、そっから僕の今の人生が始まったっていう感じですよ。
INOSHIRU運営メンバー
因間:へえ、なんていうか出会いみたいな感じなんですね。
木戸友幸
僕はおしゃべりな息子でね、結構そのことを色々言ってたの。そしたら母親は何か良い情報がないかなっていうのを探してくれたみたいで、そのちっちゃい記事を僕に教えてくれたの。だからね、絶対やりたいことっていうのは、人に知られたら困るようなことだったらあんまり言わない方がいいけど、逆に正々堂々言えることだったらいろんな人に伝えておいた方が情報は集まるよね
INOSHIRU運営メンバー
斉藤:なるほど、どこで点が繋がるかわからないものですね。

話はまだまだ後半に続きます。お楽しみに!

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