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コロナ禍の留学を考える~医学英語と教育の目線~(2/2)

  • 著者:斉藤 良佳 (京都大学医学部 3年)
  • 投稿日:
  • インタビュアー名:INOSHIRU運営メンバー
  • 派遣先機関:-
  • 留学目的:-

国際医療福祉大学医学部の押味貴之先生のインタビュー、前半に引き続き後半を公開します!
教養とは?留学で学ぶべきこととは?今だからこそできることとは?…様々な疑問について、押味先生が真摯に答えてくださいました!

INOSHIRU運営メンバー
服部:先生のお話を伺っていると、色々な角度から何かを疑って見てみることの大切さを感じます。一方でそのスキルは医学生が非常に苦手とするところではないかと思っていて、「当たり前を疑ってみる」哲学的な観点を大学で学んだ方がよいのかなと感じることもあります。
押味貴之
なるほど。では皆さん、「教養」って何だと思いますか?
INOSHIRU運営メンバー
因間:世界の見方をいろいろ持っている人が教養のある人ではないかと思っています。教養がある人は見える世界の幅広さが違うだろうし、様々な世界の切り取り方ができるのではないでしょうか。
押味貴之
教養の定義は一人ひとり異なると思います。でも、医学部入学直後のいわゆる教養科目は、医学生にとっての教養そのものにはならないんじゃないでしょうか。教養はあまりにも幅広く多様ですから、教養課程のカリキュラムに閉じ込められるものではなく、学年が上がっても学び続けるもの、あるいは授業とは違う日常の中で学んでいくものだと私は考えています。むしろ医学部入学直後の時点では教養科目よりも医学の面白さを知ることに価値があると思います。医療面接・体温測定・採血・聴診など、医学知識をちょっと補えば十分やれることはいっぱいあるはずなんです。そういった実践を経験することで、その後の専門課程の学習への意欲も高まるんじゃないでしょうか。教養を科目として設定するならその後に設定してもいいと思います。
何かを疑ってみる、思考の枠をということに話を戻すと、大事なのは「捨てる」ことです。「これは別に大事ではないはずだ」と捨てることが、疑うという行為につながります。医学生は教わったことを素直に吸収していく傾向が強いですが、先生が大事だと言っているものが本当に大事なのかを疑い、捨てようとした時に初めて「なぜそれが大事だと言われているのか、そもそもそれは何なのか」を本当の意味で自分の頭で考えることから、別の世界や考え方が得られるのではないかと思いますね。ただしその疑いの目を自分の内部から外に向けてしまうことの危険性も知っておく必要があります。他人の価値観や考え方を疑うのではなく、「人間は弱い生き物だから、考え方が異なったとしてもお互い助け合うような社会を作るべきだ」という意識のもとで、あくまで疑いを他者にぶつけないことは私自身意識しています。
INOSHIRU運営メンバー
因間:「誰に対しても同じ言葉を使う」とか、「相手の考えを受け入れる」とか言ったフラットな先生のお考えは、ともすると上下関係や規律・伝統などを重んじる人と相容れない場面もあるのかなと思うのですが、いろんな考えの人と動く時に先生はどう行動されているのですか。
押味貴之
基本的には、 “Be proactive.” つまり「主体的に考えて他人に期待しない」ということです。期待してしまうからこそ失望したり怒ったりしてしまうわけですよね。誰かに対して腹を立てるという行為は、ある意味その相手を高く評価するからこそ起こるわけです。だから、誹謗中傷に対しても、自分は相手に期待していたわけではないんだ、と落ち着くことで、気にせずにいられるかなと思います。これは自分が培ってきた生存戦略でもあるんですが、そういう姿勢だったからこそ海外に目が向いたのかもしれません。同じような考え方をする人が日本の中より海外に多かったから、海外を意識したというのはありますね。
INOSHIRU運営メンバー
因間:留学に行くのに自分の芯を持っていくのが大事ということなんでしょうか?
押味貴之
留学は箔を付けるためというイメージがあると思います。特に留学をする医師はエンドレスな箔付けの中で生きてきた人が多い。
そこで私はそんな人たちに前提を揺るがすようなことを提示するんです。自分のモチベーションが箔付けにあることに気づいた時にどう振る舞うか、気づかせてあげるのも教育者としての自分の役割だと思っています。
押味貴之
話は変わりますが、留学ができない今、改めて諸外国も含めて世界全体を見ると、コロナによって民主主義のあり方に疑問符がついている。そうした意味で、自分たちは面白い時代を生きていると思います。こんな時にどうするか、というと歴史から学ぶことしかできない。歴史は繰り返す。だから歴史を知っておく必要がある。だけど医学生は歴史・政治・経済・文化に疎いです。米国人医師の方と日本の医学生数人で飲みに行ったことがあるんですが、学生たちは政治の話に全くついていけなかった。語彙も内容もわからなかった。学生たちも自分の知識不足を痛感していました。でもこれは日本の臨床医の先生たちもあまり変わりませんです。欧米の医学部の教授たちは、政治や経済にもしっかりとコメントする。しかし日本の医師たちは自分の専門外だからという理由であまりコメントをしない。
教養を身につけるためにどうすべきか。自分の学生たちによく言うのは、小説や映画に触れろということです。小説や映画は人生の追体験をするという意味でとても良いと思います。「人間を診る」のが医師の仕事である以上、医師は様々な生き方を知らねばなりませんが、それを助けてくれるのが小説や映画だと思います。
INOSHIRU運営メンバー

因間:今だからこそできることってなんでしょうか?

押味貴之
留学に行けるとなったときに、日本国内でやり残したことがないようにすることだと思います。
英語は英語圏で身につけるものではないですよ。日本で筋トレやジョギングと同じように日々練習して、自分のものにする。英語圏では「活きた表現」を仕入れるだけです。
また、日本人の学生さんは日本のことを知らなすぎる。米国の医学生は自分の街を(観光ガイドまる覚えのような)上っ面の言葉ではなくて、自分の言葉で案内できる。人によって日本でやり残したと思うことは違うでしょうけど、自分がやり残しがないと思えるくらいまで準備することが大事です。海外に行くときは自分が日本代表、そういう意識を持ってやって欲しいです。
INOSHIRU運営メンバー

因間:自分が日本代表という自信を持てるまで頑張るということですね。

押味貴之
代表とまではいかなくても、自分の言葉を持ち合わせるということが大事です。
INOSHIRU運営メンバー
因間:英語はツールという言葉がありますが、ツールと伝える内容、どちらも充実させないとダメだなと思います。
押味貴之
今はコロナで色々と制限がある世の中ですが、逆にやるべきことを整理する時間ができる時間だと思います。スポーツ選手でも、コロナ禍で、トレーニングできないと後ろ向きに捉えてしまった選手と今だからできることに目を向けた選手ではっきりとパフォーマンスに違いが出たという話がありますが、これは我々も学ぶべきことだと思います。こんな状況でも、今だからこそできることに目を向けた人は強いです。あの時はあの時で楽しかったよね、と思える時間の過ごし方をできれば、留学が解禁された時に海外に集中できると思います。
INOSHIRU運営メンバー
因間:自分も留学が潰れてしまったのですが、今のお話を伺って気持ちが切り替えられました。
INOSHIRU運営メンバー
斉藤:先生は医療通訳にも携わっていらっしゃるということですが、AIの発達によって通訳の役割はどうなるのでしょうか?
押味貴之
私は通訳者とAI翻訳は役割が違うと思っています。通訳者は、二者の間に立って解釈することでその関係を円滑にすることが役目です。いわばコーディネータの役割。AIの台頭によって単純な翻訳・通訳は廃れ、二極化が進んでいくと思います。残るのは高度な技術を持ったプロフェッショナルです。ですが、そのプロになるための過程がAIにより廃れるので、やがて廃れると思います。だが医療通訳はまだですね。医療現場は理屈では説明できないないコミュニケーションに溢れています。その現場では主体性を持って解釈することが必要ですが、AIが主体性を持って解釈するのはまだ難しいので、AI翻訳が医療通訳者の代替をするまでにはまだ時間がかかると思います。
INOSHIRU運営メンバー
斉藤:なるほど。ありがとうございます。
INOSHIRU運営メンバー
服部:押味先生のお人柄が分かった気がします。INOSHIRUとしてインタビューしているということを途中で忘れていたくらいで笑
今回のインタビューも、鵜呑みにせず自分なりに理解して記事にしたいと思っています。
押味貴之
今日はありがとうございました。学生さんたちとお話しできて楽しかったです。やはり学生さんから学ぶことは多いので…INOSHIRUは設立の目的も内容も共感しているので、今後もインタビューだけではなくていろいろな形でご協力させて頂ければと思います。
INOSHIRU運営メンバー
一同:ありがとうございました。

 


皆様、後編までお付き合いくださりありがとうございました!
押味先生は「Dr.押味の医学英語カフェ」と題してwebサイト上で連載をされているので、そちらも是非ご覧ください!

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