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コロナ禍の留学を考える~医学英語と教育の目線~(1/2)

  • 著者:服部 圭真 (三重大学医学部 3年)
  • 投稿日:
  • インタビュアー名:INOSHIRU運営メンバー
  • 派遣先機関:-
  • 留学目的:-

今回は、国際医療福祉大学医学部の医学教育統括センターで准教授をされている、押味貴之先生にお話を伺いました。医学教育留学という具体的な話から、教養人生観といった、さらに本質的な内容まで盛りだくさんのインタビューでした!

インタビュアー

・因間朱里…東京医科歯科大学4年。
・服部圭真…三重大学3年。
・斉藤良佳…京都大学3年。

押味貴之
みなさん、医学部の教育ってどう思いますか?
INOSHIRU運営メンバー
服部:私はあまり満足はしていないですね。今勉強している知識が現場ではどう活用できるかを知れる機会が少ないと感じています。現場を自分の目で見る経験を、低学年の時から積極的に取り入れていけば、日常的な学びの価値は高くなると思います。
INOSHIRU運営メンバー
斉藤:日本の教育全般に言えることですが、満足はしていないですね。周りを見ると仕方がないとも思います。大学に求めるものは人によって違いますしね。みんなが医者になれるギリギリのラインを考えると、今の状況に落ち着くのかなと思います。また、服部君の意見と同じで、自分の学びが活きることを実感させてほしいなとは感じます。希望者だけでも何かしらに特化したプログラムが用意できたらいいんじゃないかと考えています。
INOSHIRU運営メンバー
因間:入学してから一時期モヤモヤしていました。大学は自分の学びたいものを自分なりに追求していく場所だと思って入ったんですよね。医学部が職業訓練校的な性質を持っているのはしょうがないことだと理解はしているけど、それでもすごく詰め込まれていて、みんな同じお医者さんになろうという雰囲気を感じました。これって高校の定期テストのためにみんなが勉強するのと一緒じゃないのかなって。これが6年間続くのかと思うと、すごく抵抗を感じました。ちょうど専門科目が始まった2年前のときです。その後、私はイノシルを始めとして、外も覗いてみようという動きをとってきました。それを通じて、自分がやってみたかった学びを追求する方向に、自分なりに答えは出せたと思います。けど、学問を究める場としての大学の性質を、医学部の中でもうちょっと感じられたらいいのになと漠然と思っています。
押味貴之
そうですね。自分が今医学教育に携わっているのも、まさにそういう部分が大きいです。自分を一番突き動かしているものは、自分が受けたおよそ教育とは呼べないものを若い世代に受けさせたくないという想いです。もちろん、良い教育をしているところは、日本も含めて世界中にたくさんあります。ただ、それ以上に教育とはおよそ呼べないようなことをしているところがまだ多い。また、日本の大学に一番欠けているのは成人教育という発想だと考えています。学生を成人として扱っていないのが日本の医学教育で、日本の医学部は学生を学問を学ぶ「成人」としては扱っていません。。しかしそれは学生の視点から見ればとても優しい教育と言えます。仮に先ほど、朱里さんが言ってくれたように、「学問を究める場」として大学を機能させ、学生を欧米の医学部のように成人として扱った場合を考えてみましょう。1学年120人だとすれば、おそらく半数近くは落第するのが現実です。落としてふるいにかけることが、実現できないから落とせない。日本では高校生になるまでに成人として自立する準備をさせる教育ができていないから、大学で成人教育ができない。。だから朱里さんが不満に思うように、日本の医学部でも「高校のような教育」が行われているのだと思います。
INOSHIRU運営メンバー
服部:押味先生が医学教育で大事にしていることは何ですか。
押味貴之

私が医学教育で大事にしていることは、まず短期的にも長期的にも学生の役に立つことです。私は1時間の授業を受けた人間と、受けてない人間の差がない授業はまったく意味がないと思っています。つまり、自分の授業を受けた人間と、受けてない人間は違わないといけないということです。なにより、授業内容が医師として働いたときに役に立つものであることが大事です。これまで授業を受けた学生さんからは「英語論文を読むようになって授業で学んだことが活かせました」とか「海外臨床実習で授業で学んだ症例報告の技術が役立ちました」とよく言ってくれます。みんな生化学とかを勉強したときに、これって何の役に立つんだろう?と思いますよね。もちろん役に立つけれど、みんなは役に立つ、その「役立ち方」が分からない。例えば、血液検査の結果を見たときに、生化学の知識がどう役に立つのかが分からない。解剖学で、頭蓋の穴を覚えることって何の意味があるの?と思ってしまう。私が務めるの大学では、外国人の先生がたくさん在籍しています。だから、日本の医学部では教えるけれど、海外の医学部では教えないこともはっきり把握することができるんです。

押味貴之
なぜ、米国の医学部は4年間で終わるのに対し、日本の医学部は6年間だと思いますか?米国は教養科目がないにしても、生化学、生理学、解剖学、免疫、そういったことはやるんですよ。そういった基礎医学、臨床実習も含めて4年間で終わります。
押味貴之
結論から言うと、日本の医学教育は教えすぎです。USMLE step1のFirst Aidという教科書には、鼻に関する知識は1ページしかありません。米国で鼻は副鼻腔炎と鼻出血だけ。「なんでそれだけでいいの?」と彼らに聞くと、「なんで医学生に詳しい鼻の手術の知識が必要なの?」と聞き返されます(笑)。また、日本の医学生は薬の処方の仕方が分からないんだけれど、米国の医学生は3年生からそれができます。日本の医学生は珍しい病気のことは知ってるけれど、高血圧の患者さんに対して降圧剤を含めたマネジメントはできない。一方、米国の医学生はそれができる。つまり、日本と米国では、医学生ができることの深さと広さがまったく違うんです。英国でも同じで、プライマリ・ケアがまずできるように教育するから、教えている知識の量は少ないのです。
押味貴之
大学を初めとした教育機関は祝祭空間であるべきだと思っています。お祭りをアーカイブでは楽しめないですよね。それと同じで、留学においても「その空間を共有すること」に意味があると思っています。実際、留学に行ってきた人の思い出に残っているのは、有名な教授の講義内容ではなく、隙間時間での友人とのおしゃべりだったりするのは、空間を共有するという経験のひとつの例じゃないでしょうか。
オンライン授業をはじめとして、若い世代のみならず教員世代にとっても動画配信へのハードルが下がる中、世界中のいろんな人の話を聞いたり、従来なら対面でしか行われなかったセミナーに参加したりといったチャンスが急増しており、今までとは桁違いに留学のチャンスは広がっています。一方で、「不自由さを経験する」という意味での留学は難しくなっています。 “Get out of your comfortable zone.” という英語でよく言われるように、人間は快適な空間から出て不自由さを経験することによって創意工夫する能力を身につけて成長するものですが、現地で苦労する経験は現状なかなか得られません。
INOSHIRU運営メンバー
服部:最近は厳しい選択肢が便利なものと置き換えられていくことで、いわゆる「楽な選択肢」が増えているように感じています。そうした中で、あえて厳しい選択肢を取るには勇気がいるし、その決断をする人が減るのではないかと思っています。
押味貴之
例えば私自身は学生時代に、聴き取ったことを書くことで英語を勉強していました。聴き取れないと困るわけですが、困るからこそ分かった時に記憶に残りやすかったんですね。でも今は調べるのが簡単なだけに苦労しないし、だから記憶に残らない。ある意味現代は不幸だなと思いますね。あるいは、ネットがあるために、海外に行っても日本語から完全に遮断されることがほぼ不可能である以上、成長する機会という意味での留学が年々難しくなっているのは私も感じます。それでも先人が積み上げてきたものの上にいま私たちはいるわけなので、先人を超えていけるように努力しないといけないですよね。
INOSHIRU運営メンバー
服部:先人を超えていく、というのはその通りだと思います。一方で、超えた先に何を目指せばよいのかを見つけるのもまた難しいなと感じています。
押味貴之
まず、医者というプロフェッショナルになろうとする前に、ひとりの人間であるという意識が大切です。特に厳しい競争にさらされてきた医学生は、例えば「留学すればキャリア形成に有利だから」留学に興味を持つ、という人が少なくないように、目的志向性が非常に強いように思っています。しかし、損得や序列に縛られ、自分を常に相対化して他者と比較することと、人間としての幸せは違うのではないでしょうか。私はよく学生さんに「あなたはすでに人間として十分立派だよ。ただ、医学部生として進級することを考えるのであれば、また話が違うよね」と言っています。確かに必ずいつも上には上がいるし、際限がない競争の世界においては「どれだけ頑張ったか」という過程ではなく「何を成し遂げたか」という結果だけが重視されます。でも、それと人間としての幸せ・人間の価値というものを混同してしまっては不幸な人生になります。学生の皆さんにも、自分の成績や偏差値と、人間性といった部分は分けて考えてほしいなと日頃から思っています。
自分が人よりも少しだけ優れていると思っているのは観察力でしょうか。学生さんがちょっとでも前に進むことを手伝うという教員の仕事をする上で、目の前のこの学生さんはどうやったら一番効率的に進めるかを見抜くことはいつも心がけているんですが、その時に「自分の感覚だけで接していては相手をダメにする」ということをすごく意識しています。
INOSHIRU運営メンバー
斉藤:そういう先生の観察力はどこから生まれているんでしょうか。
押味貴之
興味と仮説です。興味があるから仮説を立てるし、仮説があるから人を観察しています。それと、昔から自分は物事を両極端に考える傾向があるんです。 “playing devil’s advocate” という言葉がありますが、これは何かの成功のためにあえて物事を否定的に見る役割を演じることを言います。私は、そうやって物事を斜めに見るような、ちょっと変わったことをしてきた人間です。私のような人間は社会の主流にいるタイプではないですし、自分と同じような人しかいなかったら社会はきっとうまくいかない。でも、みんなが安全策しか取らないような社会では新たな分野の開拓はありえないですよね。だからこそ、社会の多様性はとても大切だと思います。
留学も思考の幅を広げる方法ですよね。サンフランシスコのCastro地区を知っていますか?ここはLGBTQ+のコミュニティなのですが、日本から行くとやっぱりカルチャーショックを受けてくる人が大半ですし、理屈とは違うところで大きく価値観が変わった学生をたくさん見てきました。そういう経験は日本の医学部で生活しているだけでは得られないし、そういうところに留学の価値があると思います。

インタビュー前半はここまでです。押味先生ご自身のご体験、そしてこれまでに先生が送り出してこられた医学生のエピソードも交えながら、留学の意義について考える前半となりました。
後半でも、先生の素敵なお考えや医学生への熱いメッセージをたくさん伺うことができました。ぜひこちらから続きをどうぞ!

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