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無数の「異なるもの」に関わり続ける力:医療におけるcultural competence -ひとけんコラムNo.8-

  • 著者: 李展世 (人と医療の研究室)
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「人と医療の研究室(ひとけん)」の李展世(リ チョンセ)と申します。今回は、海外留学をはじめとする異文化との関わりを通して私たちが得られるものの一つと考えられる”cultural competence”について、自身の患者としての経験を交えながらコラムを書かせていただきます。


私が病院でよくする「面倒くさい間違い」

私は韓国籍の特別永住者、いわゆる「在日」です。特別永住者の多くは本名の他に法律上の「通称名」を持っている人が多く、戦後以降日本で朝鮮系の本名を用いて社会生活を送ることが著しく不利であったという背景から、現在でも「通名」を用いる例が非常に多くあります(この時代、「本名」とは何かという境界はどんどん曖昧なものになってきていますし、この「通称名」にはその他いろいろな背景があるのですが今回は割愛させていただきます)。私自身は普段本名しか使うことがないのですが、保険証に記載されている名前が通称名なので、病院にかかるときは「ヤマムラさん」と通称名で呼ばれます。ところが、普段病院に行くこともあまりないので、病院でフルネームを聞かれたとき、つい保険証や問診票と違う本名を答えてしまうということがよくあるのです。

 

以前ケガをして通院していた際、病院で名前を聞かれ間違えて「リチョンセです」と本名を答えてしまいました。ところが、あっすいませんと間違えたことを説明しようとすると、病院のスタッフに「韓国語で読んだらそうなるん?なんで韓国語?」「この保険証はちゃんと使えるやつ?」だとか、「なんでそんなふざけ方するん」とこちらがわざと間違えているような言い方をされる、ということがありました。いや、間違ったのは完全にこっちが悪いし、それも名前を間違えるという面倒くさい間違い方をしたけれど、謝って普通に説明しようとしているのにそんな怪訝な顔でそんな言い方しなくても…と思いました。単なる間違いを「ようわからん面白くないボケ」と受け取られたことが、大阪人である私にとってとても恥ずかしかったということもあり、これは強く記憶に残っています。

 

このような場面で、病院のスタッフに私の文化的・社会的背景について分かっておけと要求することは理不尽なことです。しかし、このような情報の行き違いは医療を行う上で何らかのミスにつながる可能性があります。自分が医療者側であったなら、そのようなことは怖いし避けたいと感じ、またなにより(自分の間違いのせいとはいえ)気持ちの良いコミュニケーションとは言えないものであったなあと思っています。でも、自分が医療者としてそのような知らないものと接する場面に置かれた時、はたして私は適切なコミュニケーションや行動をとることができるかと問われると、自信はあまりありません。そのためにはどのような能力が必要とされるのでしょうか。

 

Cultural Competence

Cultural competence(Cultural competency, Intercultural competence)とは、多様な価値観や文化的バックグラウンドを持つ患者に対し、その社会的・文化的・心理的ニーズを考慮して能動的に関与していく力のことです[1]。これは1989年に初めて提唱された考え方であり、現在は医学教育の一分野として世界中のカリキュラムに組み込まれつつあるようです[2]。

Cultural competenceを持つということは、単に異文化を理解しているということではありません。具体的にどのような能力が求められるか、以下の要素が提唱されています[2]。

 

  • Mindfullness:自分と異なる文化的背景をもつ患者とのコミュニケーションがどのようになりうるか、どうあるべきかを考える能力
  • Cognitive flexibility:自分のもつ古い型や先入観にとらわれず、情報のカテゴリーや捉え方を柔軟に変化させる能力
  • Tolerance for ambiguity:相手が持つ文化的な曖昧さに対して、自分の持つ知識やカテゴリーに無理やり当てはめようとせず、それを受け入れ臨機応変に対処する能力
  • Behavioral flexibility:様々な異文化に対して、自身がどのように対処するかを柔軟に決定する能力
  • Cross-cultural empathy:相手の立場に対して想像力を働かせ、共感する能力

 

ヘルスケアの場で異文化と関わる時に必要とされる能力について、cultural competenceとは異なる以下のような用語も併せて用いられています[3]。

 

  • Cultural responsiveness:自分と相手の違いを探り、その人独自の文化的アイデンティティを認識する力やそうできるよう医療のシステムを整備すること
  • Cultural Humility:医療者と患者の立場の違いを認識し、異文化について常に学ぼうとする自己批判的な姿勢
  • Cultural intelligence:自分自身の異文化に対する態度、価値観、スキルがどのようなものなのかを自身で把握すること
  • Cultural safety:医療者自身が文化的・社会的マイノリティの立場にある時、医療者が無意識に持っている社会・政治的な立場を守りつつ、それにより患者に共感することで安心感や信頼関係を築く力

 

このように医療におけるCultural competenceは、医療者と患者の間に文化的な差異が「ある」ことをまず想像し、それに能動的に関わろうとする個人の姿勢、およびそうできる医療のシステムのことを広く指していると考えられます。

 

医療においてcultural competenceはなぜ重要であると言えるのでしょうか。まず、文化的なバックグラウンドは患者の自己決定に大きく関わるものと言えます。また、文化的・社会的背景を考慮できるかどうかは患者ー医療者間の信頼関係構築に影響するでしょう。食生活や運動処方、薬物処方の面で、文化的背景を考慮した処方が必要とされるケースも考えられます[1]。加えて、文化的背景は社会的なスティグマや偏見に強く関連しており、医療者がこの能力を持っていなければ、それにより患者に施される医療の質に差が生まれうるという懸念もあります。[4]

Cultural competenceは、先に述べたように世界中で医学教育の一分野として認識されつつあるとされていますが、日本ではまだそこまで広く教育が行われている概念ではないように感じます。私も自身の大学でこれに関する内容を耳にしたことは今までありませんでした。

 

自分と異なるものを完璧に理解するなんてできっこない

Cultural Competenceは単に「他の文化についてよく知っていること」ではなく、「異なるものを知ろうとし、異なるものと接する力」であるという点に十分注意しておく必要があると思います。人間は皆何らかの属性を何重にも帯びた存在ですし、ひとくちに属性、マイノリティといってもそれらは無数にあります。例えば海外留学に行って、自分と異なる背景を持つ人との体験から何かを学んだとしても、その人はそのグループ代表でもなんでもない、ただの一個人として尊重すべき存在です。断片的な知識を得て、異文化について「わかったつもり」になってしまうことこそが一番怖いことであると私は思います。そのような、個人を無視し、その人のバックグラウンドについて自分が持っている一部の知識からひとくくりに判断するといった他者との関わり方は、まさしくCultural Competenceに欠けている態度であると思います。異文化との関わりによって育つ最も大きなもの、それは「自分とは異なる立場にいる人への想像力」なのではないでしょうか。

 

繰り返しになりますが、冒頭で紹介したエピソードにおいても、私のバックグラウンドについての知識を元から持っていることは決して要求されないと考えます。世界中の一人一人の境遇について理解しているべきだなんて言ってもきりがないですよね。よく「理解のある人」という言い方がされますが、同じような立場にある人を理解することですら困難なのに、自分と異なる立場にある人の全てを理解しようなんて、とても無謀な話であるように感じられます。

しかし、自分の知らない可能性を想像する、話を聞く、落ち着いて対処すると言う能力は誰しもが持つことができます。自分がまだ知らない、気づいていないことがあまりにも多いことを実感し、色々な可能性を想像できるようになる。これは海外留学をはじめとした異なるものと関わる体験によって身に付くものであり、かつ多様な人と日々関わる医療者には特に求められる能力なのではないでしょうか。


参考文献

[1] Jenny Thomas. (2017). Cultural Competence in Global Health. BMJ Case Reports.  Reportshttps://blogs.bmj.com/case-reports/2017/11/07/cultural-competence-in-global-health/

 

[2] Deardorff, D. K. (2009). The Sage handbook of intercultural competence. Thousand Oaks, Calif: Sage Publications.

 

[3]. American Occupational Therapy Association. Cultural Competency Tool Kits. https://www.aota.org/Practice/Manage/Multicultural/Cultural-Competency-Tool-Kit.aspx (アクセス日:2020/2/3)

 

[4] Metzl, J. M. Metzl & Hansen, H. (2014). Structural competency: Theorizing a new medical engagement with stigma and inequality. Soc Sci Med.

 

 

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