
INOSHIRUオンライントーク 第4回「医療に関して社会的観点をもつということ」まとめてみた
過去に開催された INOSHIRU オンライントークの内容をまとめました。
今回は、第4回「医療に関して社会的観点をもつということ」(2020年7月30日)の内容をお伝えします!
スピーカーに池尻逹紀先生をお迎えし、医療について社会的観点を持つこと、をテーマにお話しいただきました。
京都大学在学時から様々な活動に取り組まれ、現在は人文社会学的な観点から医療や健康概念を考える「人と医療の研究室」で活動されている池尻先生。医学部の授業ではあまり接する機会のない「社会的なものの見方」で現在の医療問題を語ってくださいました。視野を広げたい医学生の皆さん、必見です!
〜少し自己紹介〜
私が社会的な事柄に興味を持つようになった理由の一つは、高校の生徒会で募金活動などのボランティアに携わった経験からです。例えば、あしなが募金の活動に参加していた頃、呼びかけにあまり足を止めてもらえなかったり、一日街に立っていてそれほどのお金が集まらなかったり、この活動に果たしてどんな意味があるのだろうと疑問に思うことがありました。しかし、活動に参加していたある日突然、遺児の方々が進学するための経済的余裕を持ちづらいことなど、そのような問題の存在を募金活動を通して「知ってもらう」こと自体がお金を集めることと同等かそれ以上に意義深いことなのではないかと、ふと気がついたのです。何ということはない発見なのですが、自分の中ではとても嬉しく感じ、これが大きな一歩となりました。
大学では一般教養の授業に熱中し、開発経済学のゼミや森林での実習、ケルト文化についての講義など、様々な機会に参加しました。医療分野では、WHOや厚生労働省のインターンシップに参加したり、学内の医学教育に関わったりしました。現在は地方公立病院で研修医として勤務しています。
〜WHOインターンについて〜
4回生の時に自由研究期間があったので、自分自身が昆虫や寄生虫に関心があったことと、すでに先輩が行っていたこともあり、スイスのWHO本部でインターンとして受け入れてもらいました。
現地では各国から送られてきたデータをまとめたり、フィラリアと人類の闘いの歴史をまとめたりといったデスクワークが多かったですが、合間に世界中の多くの方々と交流できました。また、グローバルファンド、GAVI allianceなどスイスにある他の施設も訪問しました。
ここで学んだ、顧みられない熱帯病(NTDs)については、COVID-19と関連して扱ったコラム記事でご紹介しています。[1]
〜質疑応答〜
参加者の皆さんから事前にいただいた質問についてお答えいただきました。
・社会的に脆弱な人々・健康格差についてどうお考えでしょうか?
前提として、人間は生まれながらにして皆不平等ではないか、という思いがあります。一人として全く同じ容姿体格の人はいないし、生まれ育った地域や家庭環境も様々です。病も、遺伝や生活習慣により罹患しやすい、しにくいの差こそあれ、最終的には因果関係がはっきりせず、突然人々に降りかかってくるのです。まずは「全員違っているのだ」という前提から出発して、どのような「格差」を特に是正すべきなのか、医療格差についても個別具体的な議論が必要だと考えています。
「他者の苦しみへの責任-ソーシャル・サファリングを知る」(A.クライマン他著、坂川雅子他翻訳、みすず書房、2011年)という論集の中で、ポール・ファーマーという医療人類学者は「苦しみのレベルもトリアージできる」という考え方を提示しました。[2] 賛否両論があるとは思いますが、この視点は、実現不可能な机上の理想論ではなく現実的な答えを迅速に出さねばならない医師である、ファーマーならではの視点だと思いました。限られた資源を分配して、実際に物事を進めていく上で、場合によってはトリアージという形で階層化やグループ化が必要になる、ということです。
とはいえ、このトリアージにおいて、独善的にならないことが大切であることは言うまでもありません。私たちは、グループ化された集団として苦しみを捉えるだけでなく、草の根的に一人一人の個別事例を丁寧に集めることの重要性にも注目しています。そのような一人一人の物語の中から、優先的にアプローチすべき課題が見えてくる可能性があると考えるからです。医療情報という観点からこの「一人一人の語り」について言及した記事を、弊団体のメンバーが寄稿していますので、こちらもぜひご一読ください。[3]
・老老介護についてどのようにお考えでしょうか?
老々介護については様々な議論があると思いますが、その内容を大きく分けて換言すれば、ご高齢の方が全国に多い、そしてその方々は得てして高齢でない方々と分断されている、この2点に尽きると思います。
気持ちの中に寂しさがあるご高齢の方々はいらっしゃるかもしれません。夜間救急外来に、普段より血圧が高いという主訴で来られるご高齢の方は少なくありません。本当に何らかの疾患を心配されている場合もありますが、多くの場合、血圧は建前であり、一人あるいは高齢の配偶者しか家にいないことのへ不安感が強いために受診されているような印象です。症状がなくても、そのまま入院を希望される方も多いです。
現実的な問題は色々とあるとは思いますが、高齢者と子どもたちが同じ空間にいる幼老複合施設(児童福祉施設と老人保健福祉施設を合築したもの)[4]などが考え方、方向性としては良い取り組みではないかと、注目しています。
・生活保護の不正受給について、どうお考えでしょうか?
正確な意味での「生活保護の不正受給」問題については十分に理解していませんが、これを「公の資金への不正なアクセス」のような幅広い意味で解釈すると、思い当たる事例はあります。
生活保護の方は医療費の自己負担はなく、医学的介入が必要ない状態で頻回(1日に何度も、など。)に救急車で受診される方も一部いらっしゃいます。(もちろん一部の方のみですが。)これは法的には「不正」ではありませんが、必要なタイミングで必要な医療資源を投入するという観点からは倫理的には「不正」に近いと考えても行き過ぎではないかもしれません。このような場合には、どのような状況下で救急車が必要か繰り返しお伝えしますが、本来は当事者の問題に限定するのでなく、そのような頻回受診の社会的背景にアプローチしなければならないのだと思います。生活保護の「不正受給」についても、不正自体を咎めることも必要だと思いますが、それ以上に、そのような事態が発生している背景を明らかにすることが重要だと思います。
しかし一方で、医療者側も長時間勤務の時など余裕のない状況では、そうした人々の社会的背景まで考えることができず、苛立ちの感情を先行して持ってしまうことはやむを得ないということが、私自身の当直勤務の経験などから、よく理解できます。コロナ禍での感染者批判の様子を見ていても思いますが、自分に余裕がないと、人に思いやりをもつことが難しいですよね。人の役に立とうと思った時には、逆説的ですがまずは自分ファーストで、余裕を持てるように日常の些事の効率化を図るなど工夫が必要かもしれません。
・学生のうちにしておけばよかったことはありますか?
当然ですが、医学の勉強はできる限りたくさんしておいて損はないと、反省の念を込めて思います。また、同級生などと社会的な事柄などの「真面目な」話をする機会が少なからずあったことはよかったと思います。煙たがられると思うかもしれません(し、実際にそういう場合もあります)が、意外と話が盛り上がったりもします。
あとは、自分自身がやりがいがあると思うことを一生懸命すると良いと思います。色々な人が色々な立場で多様なアドバイスをくれるのですが、やはり最終的には自分で責任を持って選択していくしかないということです。また、チャンスがないという人がいますが、チャンスは意外に見逃しているだけであるという認識が大切ではないかと思います。一方で、思いつめるとしんどいので、チャンスは逃してもまた次が来る、というくらいの気持ちもまた、持っていて良いと思っています。
・留学が今に与える影響とはなんでしょうか?
普段触れることのない世界を知ったことで視野が広がり、物事の見方に少しバリエーションが加わったかもしれません。ポピュリズムが横行し、白か黒か、答えはなにか、という「強いメッセージ」が人々の心を掴む現代ではありますが、視野を広く持ち、その間はないのか?と考えることは重要だと思います。
一方で、留学以外にも視野を広げる機会は多々あります。今は留学が難しい状況ですが、悲観せずに色々な方法をご検討いただきたいと思います。
【参考文献】(最終閲覧:2020年11月22日)
[1] 池尻達紀, COVID-19の「社会的に脆弱な人々」に対する影響-ひとけんコラムNo.1-, INOSHIRU https://inoshiru.com/column/014/
[2] A.クライマン他著、坂川雅子他翻訳, 他者の苦しみへの責任-ソーシャル・サファリングを知る, みすず書房, 2011, p94-97
[3] 李展世, COVID-19渦のinfodemicから考える医療者の役割-人と医療の研究室Student Groupのお誘い-, ドクタラーゼ https://www.med.or.jp/doctor-ase/vol34/34page_id14com2.html
[4] 厚生省, 老人保健福祉施設と児童福祉施設との合築形成の促進等について, 厚生省通達 ,1993