
アメリカで特発性肺線維症の研究に携わった経験から考えた、難病を抱えて生きるということ-ひとけんコラムNo.6-
初めまして。人と医療の研究室(ひとけん)の齊藤正一郎(奈良県立医科大学医学部医学科6年生)と申します。私は2017年1月から3月の期間、アメリカのシダーズサイナイ・メディカルセンター[1]に留学し、「特発性肺線維症の病態と線維芽細胞の役割」というテーマで研究活動に従事しました。帰国後も自大学の関連の研究室で研究を続けています。第6回となるひとけんコラムでは、特発性肺線維症という観点から難病を抱えて生きるということについて考えていきたいと思います。
特発性肺線維症について
特発性肺線維症(IPF:Idiopathic Pulmonary Fibrosis)とは、進行性の肺線維化を病態とする原因不明の肺疾患です。原因が特定できない難病指定の特発性間質性肺炎の7病型のうち、最も頻度が高く、かつ唯一ステロイドや免疫抑制剤の効果が乏しいものが特発性肺線維症です。日本には15000人以上の特発性間質性肺炎患者が存在すると言われており、そのうち80%以上がIPFであると言われています。 症状としては、呼吸困難や乾性咳嗽などがあります。現在ピルフェニドンとニンテダニブという2種類の抗線維化薬が承認されていますが、進行を遅らせるだけにとどまり、肺移植以外に根本的な治療法は存在しません。予後は3~5年と短く、早急な治療法の開発が求められています。[2]
現地では、線維芽細胞という細胞に焦点を当てて研究していました。IPFが急性増悪した患者の肺と、緩徐進行の患者の肺から分離培養した線維芽細胞とで遺伝子発現を比較した際、急性増悪した肺の線維芽細胞にて高発現している受容体がありました。その受容体が病気の進行に関わるのではないかという仮説のもと、線維芽細胞の各種化学物質に対する反応について遺伝子発現や細胞増殖能を調べることで研究しておりました。指導員の方に「お、ウェルが1つ余ったな、Sho、好きな遺伝子を言いたまえ、それを調べよう」と言われたのが結構アメリカらしい豪快なエピソードで興味深かった覚えがあります。
呼吸困難感とは
帰国後の臨床実習中に、IPF患者さんとお話しさせていただく機会がありました。その時の第一印象は「呼吸をするのが辛そうだ」ということでした。また、この疾患に特異的なわけではありませんが、呼吸を補助するために発達した胸鎖乳突筋がお痩せになられた体から浮き出ていて脳裏に焼きついております。この方は一体どのような気持ちでこのベットに横たわっておられるのだろう、こんな気持ちでいっぱいでした。
この患者さんの状態は「呼吸困難感がある」と表現できそうですが、呼吸困難感とはそもそもどのようなものなのでしょうか。呼吸困難感は、低酸素血症という客観的指標で定義される呼吸不全とは異なり、呼吸のしづらさ・呼吸の際の不快感といった主観的な要素を含んだ症状です。呼吸困難感はIPFにもよくみられる症状ですが、客観的に評価することが難しく、苦しみが他者から理解されにくいという特徴があります。IPF患者が呼吸困難感と共に生きる体験をまとめたある報告では、以下の様な記述があります。「今までと異なる”身体の変化への戸惑い”を自覚し,原因不明で予後不良,対処法も急性増悪の予防法もなく”膨らんでいく無力感”を感じ、呼吸困難感による生活の制限で”呼吸困難感と生きるための生活変容”をしながら、”労作時に生じる呼吸困難感と酸素で楽になる身体との葛藤”をし、病状の進行に伴い”他者と協調できずに断つ交流”とせざるを得ず、”家族や友人に見守られる生活”を通して”体験がもたらす意味への思索”をしていた。」[3]この中で、酸素で楽になる身体との葛藤や、体験がもたらす意味への思索というものは、臨床実習をしている医学生の自分にとっても想像しにくいものであり、このような体験を見つめることの大切さを表しています。
難病と共に生きる
IPFは国の指定難病です。原因不明で治療法が確立されていない難病のうち、国が「難病の患者に対する医療等に関する法律」に定められる基準に基づいて医療費助成制度の対象としている難病を指定難病と呼びます。
私たちは、量的なデータとは異なる重要な意義が一人一人の語り(ナラティブ)にあると考えています。なぜなら、数多くの症例の蓄積を背景とし、目の前の患者さんの症状・状態を医学用語に変換して診療することだけが医師の役目ではなく、個々人にとって病を持つとはどういうことなのかということを合わせて理解し、適切な対応をとることもまた重要であると思われるからです。Dipex Japan[4]というサイトでは、様々な病を患った個人の方の語りが数多く収載されており、このようなサイトが医学生の学びにとって有用である可能性が医学教育の分野においても言及されています。[5]
自大学の医師患者関係学講座の講義においても、(難病ではありませんが)糖尿病を抱えた患者さんが長く疾患と向き合う中で、治療へのモチベーションを落とさないよう医師が各々の事情・心情を汲み取ることの大切さを学びました。[6]
私は、病気を治癒させるだけではなく、少しでも患者さんに幸せになってもらうことも医師の役割だと感じております。IPFを含む難病を抱えて生きる患者さんは、ひとりひとりの心の声を聞き、寄り添って欲しいと感じているのではないでしょうか。
では、寄り添うとは一体なんでしょうか。医療・看護の現場において患者さんに寄り添う医療という言葉は、患者さんの仰ることに耳を傾ける、いわゆる傾聴と同義に使われていることが多いです。私は傾聴も、寄り添いに含まれている概念だと考えていますが、イコールの関係ではないと思います。下記の記事では、傾聴=寄り添うだけでは患者さんに不安を与える場合もあるという事例が記されています。[7]
コロナ禍で信憑性のない情報が一際氾濫するようになった今、人々は不安を感じやすい状況に陥っています。それは患者さんも同様です。このような折こそ、この寄り添うという言葉の定義を考えていく必要性を私は強く感じています。
私にとって寄り添うとは「症状の裏に隠された患者さんそれぞれの体験を理解すること」です。
多くの闘病記を読んでいると、呼吸困難感一つに対しても”ずっと溺れているような気持ちだ””気持ちでは勝っているのだが苦しくて体がついて来てくれない””食欲というより食事が疲れる”など様々な声が聞こえて来ました。この体験を聞き、理解し、共感しようとすることこそが、難病を抱える患者さんを少しでも幸せにすることができるのではないでしょうか。
おわりに
この度は所属する大学の研究室の先生から留学先を紹介していただき、肺線維症の研究に携わることができました。しかし、上のような留学経験は「難病を抱えて生きること」について考えるきっかけにもなりました。そして、その後の私の大学生活での様々な経験も含めて一つの考えに至ることができました。留学はこのように、私たちの心の中に新たな種を蒔いてくれる力があると思っています。COVID-19の影響で留学が難しい現状ですが、できるのであれば学生時代に是非チャレンジして欲しいです。
「人と医療の研究室」では、健康や医療の現代的定義(あり方)そのものに寄与できるべく調査・活動を行なっています。メンバーとして、医療と社会の関わりに関心のある学部生や大学院生の方を若干名募集しております(専攻は不問)。お気軽にご連絡下さい。
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【参考文献】(最終閲覧:2020年10月25日)
[1]Cedars-Sinai Medical Center
https://www.cedars-sinai.org/locations/cedars-sinai-main-campus-89.html
[2]難病情報センター,特発性間質性肺炎, 公益財団法人難病医学研究財団
https://www.nanbyou.or.jp/entry/302
[3]猪飼やす子(2019):特発性肺線維症患者が呼吸困難感と共に生きる体験, 日本看護科学会誌,36,238-246
[4]認定特定非営利活動法人(NPO)健康と病いの語りディペックス・ジャパン
[5]孫大輔(2016):患者の語りを用いたプロフェッショナリズム教育,医学教育,50,5,507-511
[6]M3 Inc,「医師患者関係」が治療に大きな影響を与える‐石井均・奈良県立医科大学医師・患者関係学講座教授に聞く
https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/748565/
[7]The Asahi Shimbun Company,医師の「患者に寄り添う」は十分? 本当にほしい言葉は