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留学で垣間見たフランスの社会保障と自己責任論について-ひとけんコラムNo.5-

  • 著者: 松村 豪(人と医療の研究室)
  • 投稿日:
  • 国名: /
  • 派遣先機関:パリ第8大学
  • 留学目的:その他

はじめまして。人と医療の研究室に所属している松村豪(京都大学文学部)と申します。人文系の人間ですが、社会や身体をテーマに研究室に関わらせていただいています。私は2018年秋~ 2019年夏までパリ第8大学に留学していました。今回のひとけんコラムでは、その時に見聞きした社会保障や医療の体験をもとに、自己責任をめぐって感じたことを書いてみたいと思います。

1. アルバイトにも手厚い社会保障

私は留学中、パリの “IZAKAYA” でアルバイトをしていました。とんかつや餃子、SAKE(日本酒) を出すカジュアルなレストランで、従業員は日本人とそれ以外の人が半々くらいという店でした。そこで働き出すとき、店の会社側と契約書を結び署名をしました。フランスでは、アルバイトであろうとほとんどの場合雇用契約を書面で締結します。給料から税金や保険料が天引きされますが、その代わり福利厚生が付与されます。手始めに健康診断に行かせてもらいました。日本と比べてかなりしっかりしている印象ですね。契約書を作らないことはnoir(闇)と呼ばれています。
さて、話は急転直下するのですが、働き始めて3ヶ月経ったころIZAKAYAは小火騒ぎが起きて営業停止してしまいました。電気系統から煙がもうもうと出始めたそうですが、燃え広がったりはしなかったようです。とはいえ、大幅に建物を改修しないと厨房設備を使用できない状況になりました(パリは古い建築ばかりなのです)。会社は今後の経営方針を話し合って、当面のあいだIZAKAYAを閉めることに決めました。こうして私は職を失ったのですが、お伝えしたいのは休業手当が貰えたということです。
店が休業している間、私は見込まれていた給料の70%を受け取ることができました。おそらく払っていた保険料から「還ってきた」ということになると思うのですが、約2ヶ月働かずに給料を貰うことができたのでした。こういった形でアルバイトにも賃金が保障されるのは、日本では考えにくいことではないでしょうか[1]。
私が休業手当を受け取ることができたのは、おそらく会社と交わした契約に含まれていた任意保険Mutuelleによるものだと思います[2]。フランスの社会保障制度は二階建てになっていると言われていて、社会保険Sécurité socialeが1階、任意の共済保険であるMutuelleが2階にあたります。皆保険である1階を2階が補完する仕組みになっていて、民間企業はMutuelleの加入が義務になっています。この二つが組み合わされて、医療費やその他手当が保障されます。制度としては日本に似ているところも多いのですが、大きく異なるところは労働者側の権利が手厚く保護されている点です。それを支えるのは強固な労働組合とストライキです。ちょうど留学中には黄色いベスト運動が巻き起こっており、抗議としてありとあらゆるストライキが敢行されていました。例えばパリ交通公団の労働組合は毎週のようにストライキを行い、メトロが運行されないことはしょっちゅうだったのです。
そういった風土の中で出来上がっている手厚い社会保障は、アルバイトという身でも体感することができました。


[1] コロナウイルス下の昨今、アルバイトができなくなり休業手当ももらえず収入を失ってしまった人も少なくないと思います。政府は「雇用調整助成金」によって雇用の維持を促進したり、「学生支援緊急給付金」で苦学生への支援を試みていますが、不十分だという声も上がっています。

(新型コロナ 「困窮学生に支援を」 京大・有志ら、大学側へ訴え /京都 – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200718/ddl/k26/040/337000c 最終閲覧:2020年9月19日)

[2] おそらく私の件では適用されていないのですが、フランスには「部分的就業chômage partiel」という制度があります。経済的な理由で雇用を継続することが難しくなった場合、給料の70%を手当として支給しその大半を国が負担することで雇用の維持を図る制度です。ちなみにコロナウイルスの影響で1300万人が申請しているようです。

(https://www.francetvinfo.fr/sante/maladie/coronavirus/coronavirus-le-nombre-de-salaries-au-chomage-partiel-est-il-surestime-comme-l-affirme-le-patron-du-medef_4008773.html 最終閲覧:2020年9月19日)


2. 失業者は映画が安く観られる!

関連して、もう一つ留学中に印象的だったのは、失業者に対する割引です。美術館やシネマに行って料金表を見ると、失業者の特別料金があることは珍しくありません。例えば大手映画館のmk2の料金表を調べてみると通常料金が11,90ユーロのところ、demandeurs d’emploi(求職者)には7,90ユーロに割引料金が設定されています[3]。これも日本にはあまり見かけない光景です。
フランスは失業者への社会保障も手厚く、最大2年間失業保険を受け取ることができます(日本では半年)。その証明書を見せると割引で利用できる施設があり、映画館もそこに含まれます。職のない人を経済的に応援しようという社会風土が感じられますね。「働いていない人間が映画なんか観るな」という声も日本だと聞こえてくるのかもしれませんが、少なくともフランスでは映画は娯楽の一つであると同時に生活に欠かせない一部として見なされているようです。ただし、失業者に対して社会制度が優しいこともあってか、フランスの失業率は慢性的に高く問題になっています。その結果としてフランス社会において、職がないということはきわめて珍しいことでもなければ、きつく責められるべきことと考えられてもいないのだと思われます。


[3] http://www.allocine.fr/salle/cinema-C2954/tarifs/ (最終閲覧:2020年9月19日)


3. 医療と自己責任論

以上に記したフランスの価値観は、日本の社会ではなかなか考えられないことかもしれません。もちろん、日仏どちらも長所と短所がありどちらが優れているかはすぐには言えないところだと思います。ただし、日本で当たり前とされていることや自分の当たり前と思っていることが実はそうではないかもしれないという視点は大切だと思います。その自分の視野の「裏側」に出会える契機を与えてくれるのが留学の醍醐味ではないでしょうか。
最後に、自分の体験を医療と引きつけて考えてみたいのですが、自己責任論について取り上げたいと思います。2018年に麻生財務相が次のような発言をして話題になりました。

麻生氏は「おれは78歳で病院の世話になったことはほとんどない」とした上で「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と話した。記者から麻生氏も同じ考えかと重ねて問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と説明。予防医療の推進自体は「望ましい」とも語った。(朝日新聞/2018.10.28)[4]

この発言に対して批判の声が上がりましたが、同時に共感を覚えた人も多かったのではないかと思います。また、コロナ禍においては感染者に対して責任を問う社会風潮が強まり、病人がバッシングを受けるという事態につながっています。
自己責任論はアメリカ由来の新自由主義的な発想でもあると思うのですが、同時に「人様に迷惑をかけてはならない」というような日本のムラ的思考の匂いを感じます。フランス社会のあり方は、その「裏側」に気づかせてくれるものかもしれません。もちろんフランスのように社会保障が手厚くなればなるほど費用はかさむため、その他の支出を抑えるか税収を増やさなければなりません。財源は限られていますから、どこまでが正当な再分配なのかということは常に問題になってきます。
ただし、いわゆる弱者、経済的にあるいは健康上で弱い立場に立たされている人々にどれだけ責任があるのかはよく吟味されなければならないと思います。その病には遺伝的な要因はない か。偏った食生活は家庭環境に要因があるのではないか。生活習慣病は本人の怠惰のせいか、労働環境などによって強いられた日々の結果ではないか。精神的な弱さは本人だけの問題なのか。働き口が見つからないのは努力不足のせいなのか。コロナに罹患するのは当人の責任なのか(著名人が世間に感染したことを「謝罪」するということが当然のように起きていましたね)。こう考え始めると、どこからどこまでが個々人の責任で、あるいは共同体が引き受けるべき責任なのか、明確に線引きして正解を見出すのは困難だと思います。しかし、実際問題として着地点を見つけ出さなければならない。例えば医療保険の適用範囲といったことです。この線引きは難しいし、視点や価値観によって左右され得ます。
ここで、この困難から一歩抜け出すために別の切り口を提示したいと思います。それは、当たり前と言えば当たり前のことですが、「困っている人は助けよう」という大前提をきちんと確認し合おうということです。その人の責任はそれぞれですが、まず助けようねという認識を共有すること、言い換えると憲法25条に記されている「健康で文化的な最低限度の生活」がすべての人に対して共同体によって保障されるべきだということになります。なぜこんなことを確認する必要があるかというと、そうすることによってお互いに監視し合い責任を追求し合う構造から脱け出せるからです。もちろん「確認し合う」と私がここで書いていることは数字に現れたり形を持つようなものではなく、社会の土壌としての曖昧な行為です。ですからすぐに実効的な解決をもたらすものではありません。ただ、例えば「失業中の人には映画を安く観せてあげたい」とあなたは思うのかどうか、このように自問してみると視野が「裏側」へと開けていくような予感があるのです。


[4] https://www.asahi.com/articles/ASLBR4DS4LBRULFA00N.html (最終閲覧:2020年9月19日)


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