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INOSHIRUオンライントーク 第1回「ボストン留学」まとめてみた

  • 著者: 村上武志、大野修吾郎 (北海道大学医学部 6年)
  • 投稿日:
  • 国名:
  • 派遣先機関:アメリカ
  • 留学目的:経営学、研究留学

過去に開催された INOSHIRU オンライントークの内容をまとめました。

今回は、第1回「ボストン留学」です!(2020年1月21日開催)

自己紹介

村上武志

北海道大学医学部5年。

5年の前期が終わった時点で休学して、9月から1年間でボストンにある経営大学院 Hult international business Schoolの修士過程を卒業。

今は医学部6年生として病院実習をしている。


【大野修吾郎】

北海道大学医学部5年。

5年生の8月からPolandの病院で実習したのち、ハーバード大学病院で移植の研究と臨床留学を経験。

留学の内容は?

村上:僕の留学は臨床留学でも研究留学でもなく、経営学を学ぶ為の留学でした。

留学先では Master of International Businessという修士コースでした。

日本語では『国際ビジネス』と訳されますが、本校ではMBAで学ぶ内容をそのまま学べるコースという位置付けであり、MBAのように入学に社会人経験を必要としないで学部新卒者がそのまま進学できるコースという位置付けでした。

経営に関する一通りの学問を修学するコースですが、簡単に言えばヒト・モノ・オカネの動かし方を学びました。

元々発達障がいを持つ人の支援に興味があり、在学中は学習塾で教えたりしながら、心理モデルを活かした教育教材の開発を考えていました。事業としてより規模を広げて行いたいという思いがあり、よりスケールして行うためのメソッドを学ぶためにいきました。


大野:メインは研究留学でしたが、最初の1.2ヶ月は臨床を見ていました。

臨床では、ラウンドやカンファレンスに参加しました。たまに電話がかかってきて procurement に行ってました。

これは、脳死された患者さんの臓器を取りに行くことです。非常にびっくりしたことだったのですが、人数が大変少なかったため、かなり手術を手伝わせていただきました。

マスク越しで英語が聞き取りづらく、かなり大変だった記憶があります。また、隣の州まで車で移動することもあり、なかなかハードでした。

研究では、2つテーマがありました。

ひとつは免疫寛容に関してです。一度移植を受けた患者さんは基本的に生涯免疫抑制薬を飲み続けなければならないのですが、特殊な治療を初期にすることで免疫抑制薬を使わなくても済むようにするという研究でした。

もうひとつはゼノクラフトというもので、遺伝子改変した豚の腎臓を猿に移植するという、非常に面白いことをやっていました。さらに面白いのが、遺伝子改変した豚は、研究室から起業したスタートアップが提供しており、ボストンならではの「アカデミックのビジネス化」を目の前で見ました。一緒に働いていたので、様々なお話をお聞きでき楽しかったのと同時に、いままで生きてきた自分の知見はなんて狭かったのだとショックを受けた記憶があります。インパクトファクター高めの論文にも名前が載ったこともあり、よい研究成果は出せたと思います。

留学までの経緯は?

村上:先ほど述べたとおりの理由から、経営大学院に進学したいと元々思っていました。

さらに、場所に関してはボストンという場所が多くのヘルスケアの問題を解決する様々なビジネスがあったことから、日本で学ぶよりはボストンで学べたらいいなと思っていました。

大学5年で休学して行った理由としては、やっぱり一番その時期が行きやすかったからですね。

当時は文部科学省が日本の大学生向けに開いた奨学金プログラム『トビタテ!留学JAPAN』というプログラムがあり、交換留学ではなくとも留学内容が認められたら奨学金をつけるというものでした。留学にはどうしても費用がかかりますが、学生の間ならこのプログラムが活用できるので金銭的な不安が軽減できると考えました。

また一旦臨床に進んでからの留学となるとキャリアを中断して行う事になるので、今が行きやすいかなーと思いました。

資金面、キャリア面での問題が一番軽減されるのが、在学中かなと思い、5年生で休学して行った次第です。


大野:以前からなんとなく「アメリカでの医師かっこいいなと」いう思いがあったのがひとつです。また、もともと移植に興味があり、移植の最前線で活躍されている先生方はアメリカで修行されている方が多かったので、自分はアメリカにいくんだろうなと思っていました。

ただ、大学3年次にふと、” アメリカで医師になるにあたって、このまま北海道大学を卒業して、果たしてあの狭き門を突破できるのか”、また ”実際のアメリカの現場を見ていないのに本当に自分は働きたいのか” と感じ始めました。

留学先とのコンタクトは?

村上:留学機関に直接問い合わせて入学しました。


大野:まず、北海道大学の教授に一週間だけ見学にいきたいと頼みました。現地に行き、そこで自分の熱意を伝え、一年間置かせて欲しいと頼み込みました。

資金準備はどうしたの?

村上:トビタテ!留学JAPANという奨学金プログラムの他に、バイト代、親からの借金で当てていました。

法律的にグレーではありますが、留学中に遠隔で日本のバイトをしている人もいる様です。


大野:トビタテ!留学JAPANで200万円、日本学生機構から100万の借金、残りの100万円はバイトをしてためました。

留学して印象に残ったことは?

村上:一番印象に残ったのは、アメリカの医学部生と話した時ですね。本当に多様な考えを持つ学生がいるなと思ったことです。

 

元々アメリカの医学部は日本で言う大学院の扱いで、他の学部を卒業しないと入れないんですよね。また医学部のコースの中でも、同時並行でMPH(公衆衛生学修士)が取れたりMBA(経営学修士)をとることができるものもあります。

 

元々専門を持つ人が入学したり、在学中も医学に付随したフィールドを学ぶ機会も多くあるので、在籍する学生も医学、と言う範疇を超えて医療を独自の視点を持っていたり、卒業後の進路も臨床以外にもスタートアップや、病院経営、保険会社など多くのキャリアを踏む人がいました。

 

ちなみに留学中にハーバードに所属する友人にインタビューをして、詳しい内容を本サイトの記事で書きました。興味がある人がいればこちらのコラムもご覧ください。


大野:医療事故の現場に遭遇したことです。先程いった procurement で起こりました。

23時にでて、隣のニューハンプシャーにつき、3時から手術が始まるというハードなスケジュールでした。

ドクターも疲弊しており、クランプの段階で下大静脈を少し傷つけてしまい、胸腔から血が溢れだしました。僕の下半身も血まれになったことは、いまでも鮮明に覚えてます。

ドクターはパニックになることなく対処し、問題はなかったようだったのですが、医療事故はこういう状態で起こるんだなと実感しました。

帰国後に「留学してよかった」と思った瞬間は?

村上:先ほどの答えにも通じるのですが、僕自身も一年間経営を学ぶことで臨床について考える幅が広がったと思います。ビジネススクールで取り上げられた色々な業界の事例を見て、サプライチェーンを学ぶ産業を構造的に捉える経験をしていました。また実際にボストンで臨床現場だけではなく、それを支える医療機器メーカーや製薬会社、スタートアップを発見しました。

復学して病院実習をしている中でも、臨床医のみならずコメディカル、さらには現場にいる人だけではなく、それを開発する企業や、支援する政府がいて医療は成り立っている、ということに対してより興味を持って見る様になったと思います。

その中で今まで見えていなかった医療現場の奥行きの構造が分かる場面もあり、自分の新しい目線になっているなと思います。


大野:視座が上がったことです。

ハーバード大学の医師と一緒に仕事をさせてもらう機会があったため、良くも悪くも世界のTopをみることができたことで、留学前では考えなかっただろうことを留学後は考えられるようになりました。特に一番実感しているのは、物事を深く考える思考力と物事を抽象化する力がついたことです。

なんだか、抽象的ですみません笑

帰国した現在は、Makers Universityと言うプログラムに入り、自分が実現させたい世界を作ろうと頑張っています。

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