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朝鮮学校における学校保健 一「普通の小学校」に保健室はあるか -ひとけんコラムNo.4-

  • 著者: 李展世 (人と医療の研究室)
  • 投稿日:
  • 国名: /
  • 派遣先機関:国内
  • 留学目的:その他

初めまして。人と医療の研究室(ひとけん)の李展世(京都府立医科大学 3年生)と申します。今回は第4回となるひとけんコラムを書かせていただくことになりました。本記事では、朝鮮学校に通っていた自身の経験を踏まえ、日本と海外の学校保健について考えてみたいと思います。

保健室のない小学校

僕は小学校と中学校の9年間を朝鮮学校で過ごしました。みなさんは「朝鮮学校」がどのような学校なのか、知っておられるでしょうか。朝鮮学校の一番の特色は学校での教育のうち民族教育の比率が非常に大きいことです。「日本語」の授業以外は休み時間の会話でさえも全て朝鮮語で行われ(もちろん「国語」は朝鮮語の授業です)、朝鮮歴史や朝鮮地理といった科目も独立して存在します。
今回僕がテーマとして取り上げたいのは、朝鮮学校における学校保健の問題です。学校保健とは、学校における、児童生徒の健康増進のための健康診断や感染予防といった活動、子供の安全を守る環境整備や救急体制の整備、保健授業や保健室での保健教育などを指す言葉です。僕が通っていた小学校には保健室はなく、学校医や養護教諭(いわゆる保健室の先生)はおらず、毎年の健康診断や6年間で数回という頻度の保健授業はボランティアとして来られた医師や看護師の方によって行われていました。他の朝鮮学校においても、児童生徒や職員の健康を守るための環境整備が一般の学校と比較して大きく遅れているということが報告されていました。[1]
なぜ学校保健の整備が遅れていたのでしょうか。まず考えられる原因として、日本にある朝鮮学校をはじめとする外国人学校の多くは学校教育法第1条における「学校」に属しておらず、学校保健安全法の適用を受けないことがあります。[2] つまり、学校保健のあり方や取り組み方が制度として決定されておらず、支援や人材の派遣などもない状況にあるということです。また、そもそも朝鮮学校の財政状況が非常に厳しいことも一因となっていると考えられます。[2]
僕が通っていたのは10年ほど前の話であり、それから現在に至るまで朝鮮学校における学校保健への取り組みは大きく変化しました。保健室が整備される学校も徐々に増えてきており、週に1回NPO法人から看護師が学校に派遣され、生徒児童の健康状態の把握や健康相談、保健授業を行っている例、6年間のカリキュラムを一から作成し、外部の看護師や養護教諭による保健授業を行っている例などがあります。[3] しかし、現在も依然として救急処置は担任の教員が教室に備え付けの救急箱を使って対処するケースなど、保健室や健康支援体制が未整備の学校がまだまだ存在します。保健授業に関しても、ここ数年でようやく行われはじめたという学校が多くあります。厳しい財政状況のため、それらの整備にかかる費用は寄付によって捻出されており、保健活動に取り組む外部からのスタッフはほとんど全てが無報酬のボランティアです。また、障害をもつ児童生徒や慢性疾患を患っている児童生徒に対する適切なケアが行われていないという指摘もあります。[4]

保健室は「あって当たり前」なものなのか

日本の学校では、保健室を作り養護教諭を配置することが学校保健安全法で定められいます。現在ほぼ全ての小中学校に保健室が存在し、その多くに養護教諭が常駐しています。健康相談やカウンセリングなども保健室で行われます。このような背景から、日本において「保健室のない学校」というものは珍しく感じられますが、では海外の学校にも同じように保健室や養護教諭という制度は存在するのでしょうか。
例えばドイツでは学校に保健室というものはなく、学校での健康管理は保健所が主な役割を担っています。[5] アメリカやイギリスでは保健室はありますが、日本のようにベッドがあったりカウンセリングの場であったりというわけではなく、応急処置をしたり体調不良の生徒が保護者の迎えがあるまで一時待機する場所であるという例が多いようです。[6] 学校に保健室があるのは当たり前、というのは僕たちが住む日本の中だけの話なのかもしれません。
養護教諭についてはどうでしょうか。日本の養護教諭、いわゆる「保健室の先生」は大学の養護教諭養成課程や看護師、保健師の課程を卒業した人が教員採用試験を経てなるものです。一方でアメリカやイギリス、オーストラリアなどの学校には School nurse という職種があります。これは看護師免許をもつ人がなる職業で、生徒の予防接種やスクリーニングなども行う医療従事者色が強い職種です。保健教育は教職員に対するものであることが主で、生徒に授業などを行うことは多くないようです。[7] 中国には校医制度がありますが、これは医師免許をもつ人が就く職業です。[7] このように、教師としての側面が大きい日本の養護教諭と、医療従事者としての側面が大きい海外での学校保健を担うスタッフには活動内容に違いがあると考えられます。
「あって当たり前のものがない」とされる朝鮮学校における保健室・養護教諭の問題ですが、どのような設備がどの水準であることが「当たり前」に求められているのでしょうか。朝鮮学校の学校保健の環境整備をうまく進めていくためには、そもそも学校保健とはどういうもので、朝鮮学校においてどうあるべきなのか、何が必要なのかを考える必要があるのではないかと考えました。

学校における「健康」とは?

各国における学校保健を充実させるためのモデルとして、WHOが提唱した Health Promoting Schools(HPS)というものがあります。[9]
HPSは次の5つの特徴を持つと定義されています。

・利用しうるすべての手段を用いて健康と学習の両方を促進させる。
・学校を健全な場にするために、政府や自治体、教員、教職員組合、児童生徒、保護者、医療提供者、地域社会の指導者にはたらきかける。
・学校や地域におけるプロジェクトとアウトリーチ、教職員の健康増進プログラム、栄養と食品の安全プログラム、体育とレクリエーション、カウンセリング、社会的支援、メンタルヘルスの促進を行うことで、健康な環境と保健教育、保健サービスの提供に努める。
・個人の幸福と尊厳を尊重し、児童が成功するための複数の機会を提供し、児童の努力、意図、成果を認めるような方針を立てそれを実践する。
・生徒だけでなく、教職員、家族、地域社会の構成員の健康増進にも努める。

この考え方について、学校を中心とする地域社会全体の健康増進を目標としている点、単に児童生徒の健康状態を改善することだけでなく、子供の成長や幸福、自己実現までを”Health”に含めた視点である点が非常に重要だと感じます。子供さえ健康でいてくれれば周りの大人は疲弊しても良い、学校でのケガや体調不良は近くの病院に連れて行けば解決するし保健室なんていらない、ということではなく、HPSの役割はそれにとどまらないということです。社会において「学校」はどのような役割をもつ機関なのか? 保健によって保たれる「健康」とは何か?という問いについても、考えてみる必要がありそうです。

「じゃあ普通の学校に通えばいいじゃん」

朝鮮学校の学校保健が不十分だという意見に対して、もっともよくある反応は「じゃあ普通の学校に通ったらいいじゃん」というものです。この考えは、なぜそのようなデメリットがあるにもかかわらず朝鮮学校に通うのかという理由を想像することをはなから放棄してしまっているのではないでしょうか。
自分と異なる立場の人の選択にはどのような理由があるのか。日本で当たり前に思って過ごしていることが海外ではどうなのか。自分の知らない視点から「学校保健」や「健康」というものを見た時に何が見えるのか。このような「際」の向こう側にあるものについて想像力をはたらかせることは、私たちが人と医療に関わって生きていく上で極めて大切な能力なのではないかと考えます。

参考文献

(アクセス日:2020/7/5)
[1] 洪京華, 李裕香, 朝鮮学校の学校保健問題について~兵庫県下の朝鮮学校における『担当看護師制度』から~, 2006
[2] 池祥恵, 李映叡, 崔伶雅, 朝鮮学校の学校保健における実践的な取り組みについて 京都の事例をもとに, 2007
[3] 朝鮮新報, 朝鮮学校に保健室を!京都の報告(上), 2016-2-23, https://www.chosonsinbo.com/jp/2016/02/kyoto/
[4]
[5] 藤原素子,ドイツにおける学校保健管理, 1991
[6] Anantha Sameera Mangena, Erin Maughan, The 2015 NASN School Nurse Survey: Developing and Providing Leadership to Advance School Nursing Practice, 2015 https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/1942602X15608183
[7] 山内愛, オーストラリア連邦における School Based Youth Health Nurse とわが国の養護教諭との比較研究, 2017
[8] World Health Organization, Health promoting schools, https://www.who.int/health-topics/health-promoting-schools

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