INOSHIRU イノシルのロゴ

行かなければ見えてこなかったもの

  • 著者:吉田恭子 (東京医科歯科大学医学部 5年生)
  • 投稿日:
  • 国名: /
  • 派遣先機関:Medical Research Council Unit The Gambia
  • 留学目的:研究・臨床

一問一答コーナー

名前:吉田 恭子(Kyoko Yoshida)
所属大学・学年:東京医科歯科大学 5年
留学先の国:ガンビア共和国
留学先の大学(機関):Medical Research Council Unit The Gambia
留学の期間:5年生 11月
留学の目的:インターン (研究・臨床)
留学の費用(概算):約50万円
-学費:―
-家賃:約9万円 (約3000円/日×30日)
-生活費:約3万円 (約1000円×30日)
-渡航準備(保険、航空券、Apartmentのdepositなど):約40万円:航空券代約32万円+予防接種・抗マラリア薬代約8万円
プログラム(仲介してくれた機関/人):前回留学先の研究室の指導教官
利用した奨学金:なし
VISA:Short term visa
保険:損保ジャパン日本興亜
留学中の住まい:留学先近くのホテル

【プロフィール】
東京医科歯科大学医学科5年。
中学時代にニュースで見たシリア内戦の衝撃的な様子が、海外へと興味を持ったきっかけでした。同時期に、かのMichael Jacksonの”We’re the world”の歌詞の一節”we can’t go on pretending day-by-day That someone, somewhere soon make a change”に触発され、自分自身も何か世界に対してアクションを起こせるような人間になりたいと考えるようになりました。自分にできること、自分がしたいことを悶々と考えた結果、途上国の医療水準向上、なかでも感染症対策に携わりたいと思い、医師を志しました。
大学4年次の研究留学時にお世話になった研究者の先生方と意気投合し、現在も大学での臨床実習と並行してリモートでの研究を続けています。

【サマリー】
・百聞は一見にしかず
・「よそ者」であるということ、「よそ者」としてできること
・「途上国」≠「不幸」

Q1 留学中にカリキュラムで学んだことについて

PROLIFICAという途上国でのウイルス性肝炎対策に取り組むチームに参加し、MRC Unit the Gambiaという施設内にある肝臓専門クリニックで午前中は診療見学や補助を、午後はオフィスでデータ解析関係の研究をしていました。

お世話になったMRC Unit the Gambia

 

CTなし、内視鏡なし(国にたった2台、1台は故障中)と可能な検査が限られているガンビアでは、診断において身体所見が日本より遥かに重要な存在となります。そのような環境下で診察に参加できたことで、日本の実習だけでは得られないような知識や技術を多く学ぶことができました。「ガンビアの医療を私たちが変える!」という熱い思いの現地スタッフの下で成長できたとホクホクする一方で、診療を通して“Resource limited settings”の想像を超える現状、またその根深い背景にショックを受けたのも事実です。

クリニックでの活動に加え、滞在中に発足したアウトリーチクリニックにも同行させていただき、実際に患者さんのお宅を訪問し診療を行いました。延々と悪路を行き、実際の生活の場にお邪魔したことで、病院受診の物理的なハードルの高さはもちろん、文化的、精神的な病院受診への障壁、またその後ろにある歴史的・政治的な背景の存在についてもまざまざと実感することとなりました。特にチーム内のドイツ人医師とアジア系である私は必ずしも歓迎されるわけではなく、コミュニティにとって「よそ者」である私が将来どのように途上国医療に関わっていくべきか、一度立ち止まり考える良いきっかけとなりました。

アウトリーチクリニックは発足したばかりで手探りの状態であったこともあり、チームでは毎日、いかにそのシステムをいかに存続させるか、そもそもアウトリーチクリニックを行うべきなのか、議論が行われました。現場を見て、議論に参加する中で、人員・物資・予算が限られる中での持続的な活動や、密なコミュニティ内でプライバシーを保護しつつ医療活動を行うこと、またスタッフが入れ替わっていく中でコミュニティとの信頼関係を維持し続けることの難しさなどを痛感しました。

アウトリーチクリニックで通ったこんな道、あんな道

Q2 カリキュラム以外の、留学先ならではの現地での生活について

街中には家畜がうろうろしていて、朝はニワトリの鳴き声で目覚めていました。

街の愉快なヤギさんたち

朝は屋台で、夕方は近所の大衆食堂で食事をとりましたが、意外とほとんどお腹はこわしませんでした。ガンビアはイスラム圏であるため昼や夕方には礼拝のアナウンスが流れるのですが、普段は賑やかな街がそのときだけ少し静かになるのも印象的でした。

Q3 なぜその場所(国・大学)、その期間を選んだか

-場所について

4年次のロンドンでの研究留学( 当時の留学体験記 )でお世話になった指導教官がガンビアでのプロジェクトも率いていたことがきっかけです。

ロンドン滞在中に彼女に途上国医療に興味がある旨を伝えたところ、「学生の間にアフリカを経験しなさい。ガンビアにぜひおいで!」とお声がけいただき、帰国後も連絡を取り合いインターンが実現しました。

-期間について

約30日間(所属大学の休暇をめいっぱい使いました)

Q4 留学に至るまでの準備について

まずは予防接種、渡航安全情報をひたすら調べました。

在留邦人がほとんどおらず(国全体でも5名未満)、日本大使館もなく、さらにアフリカ最小の国であることもあり、情報源がほとんどなく苦労しました。研究チームの方々からの情報に加えて、近隣の西アフリカ諸国での在住歴のある方を探して生活情報を教えていただくなどして対応しました。

ビザに関しては、臨床実習のため平日に大使館へ向かうことが不可能であったため、代行業者に依頼しました。

Q5 準備、留学中の両方について、「こうしておけばよかった」と思う反省点と、自分なりに工夫してよかった点

 

工夫して良かった点

・辛い食べ物が苦手でしたが、西アフリカ料理は辛いと噂に聞いていたため渡航前の2か月間は辛いものを意識してたくさん食べて慣らしました。我ながら荒療治だったとは思いますが、辛いものへの耐性がついたおかげで辛い現地料理も楽しみながら食べることができました。

辛いけれどやみつき“Benachin”

・公用語は英語であるため医療スタッフは皆英語で会話可能でしたが、あえて英語とは別に現地語をできるだけ覚えて使ったのは正解でした。見るからに私はガンビアでは「よそ者」ではありましたが、よく使う現地語のフレーズを意識して取り入れることで「あなた方の文化を知りたい・尊重したい」というメッセージが一番簡単に伝わりました。ただ、資料がなく渡航前には勉強できなかったため、現地についてからの勝負となりました。

・「やりたい」と「できます」の2点を常に意識してアピールしました。希望をアピールしたことで大抵のことは挑戦させていただけましたし、自分ができる仕事についてもはっきりとアピールし行動したことでスムーズに業務が回りました。特に「できること」については、結果的にチーム内で私の得意分野に関するレクチャーをする機会をいただき、短期間の滞在ながらチームへの貢献ができたのではと思います。

反省点

・女性1人で渡航する場合は、結婚指輪(もどき)をしておいた方が良さそうです。Lonely planetの西アフリカ版曰く、指輪をしているとパートナーがいるように見えるため執拗な求婚やナンパには遭いにくいそうです。渡航前に読んだときは鼻で笑っていましたが、何もせずに渡航したら現地では執拗に求婚されて怖かったです(1か月で5人は求婚されました。アジア系は皆お金持ちに見えるためにモテるそう)。

・日本の知名度が思ったより低く、物によってはお土産の反応がいまいちでした。おスシ消しゴムを見せたところ、スシが知られていないがために「ただのファンキーな消しゴム」扱いでした(笑)。お土産に対する反応は国にもよるかと思いますが、ガンビアではクリップ付きのただのボールペンのようなシンプルな実用品が喜ばれました。

Q6 留学していた場所について

アフリカ西部、三方をセネガルに囲まれた、アフリカ大陸最小の細長い国です。

“Smiling coast”と呼ばれており、フレンドリーな人が非常に多いです。

ヨーロッパのほぼ真南に位置するため、ヨーロッパでは時差なしで行けるリゾート地として人気があるようです。滞在していたのはSerrekundaという国内で2番目に大きな都市でしたが、その街にも素敵な海岸が多くあり、休日は大西洋の雄大な眺めを堪能できました。

 

目前に広がるのは大西洋!

犯罪は多いわけではなく比較的安心して過ごせましたが、交通事情はあまり良くありません。道路を渡るたびにヒヤヒヤしましたし、車に乗るとマ〇オカートの世界でした。

ほとんどの人がムスリムですが戒律はさほど厳しくなく、男性医師が女性を診察することも日常茶飯事でした。公用語は英語ですが、患者さんの中には現地語(Wolof語やMandinka語)しか話せない方も多かったです。

Q7¥ 留学中どのような人とかかわったか

クリニック・研究室のスタッフには平日休日問わずとても良くしていただきました。手厚いご指導をいただいたことはもちろん、志あふれる彼らと一緒に未来について語りあうのは非常に充実した時間でした。休日には遠出に連れて行っていただいたり、家に招待していただいたり、さらには結婚式にも参列させていただきました。

 

お家にお邪魔して一緒に料理しました。火加減難しい!

また、普段行きつけの食堂のおかみさんや常連さんにも優しくしていただき、いつもかわいがっていただきました。

Q8 英語の能力はどう変化したか

滞在中は日本語を全く使わなかったため、英語はListening, Speakingともに上達したかと思います。特に医療用語については大分すんなり出てくるようになりました。ただ、人によっては訛りが強く、滞在終盤になっても苦労する場合もありました。

Q9 留学のメリット/デメリットについて

-得たもの

・リアルな「途上国」像

今まで途上国医療に興味はあったものの、実際に途上国に赴き現地の様子を目の当たりにしたのは初めてであり、非常に多くの貴重な経験をすることができました。厳しい現状を前に言葉を失うことも多くあった一方で、現地の方々とお話ししたり、共に食事をしたりする中で「途上国」や「貧困」といった単語が必ずしも「不幸」とイコールにはならないことを改めて強く感じました。「途上国支援」という言葉を使うとき、得てして「変える」「改善」という部分にフォーカスしがちですが、変えるべき現状の奥には尊重すべきその土地の文化があり、そこで暮らす人々の日常、彼らの誇りがあります。ごくごく当たり前のことではありますが、忘れてはならないことを心に焼き付けることができました。

・医療知識・技術

日本とは疫学も医療制度も何もかもが異なるガンビアですが、数々の相違点のなかでも、可能な検査が限られているために診断における身体所見のウェイトが非常に大きなものとなっていることが印象的でした。そのような環境下で毎日診療にあたっている医療スタッフは若手からベテランまで皆まさに「身体所見のエキスパート」と言えるほどで、素早く全身をくまなく観察し問題をリストアップする技術に長けている方々ばかりでした。日本での普段の実習とは異なる切り口から1か月間みっちりと仕込んでいただき、知識・技術ともに大きく幅が広がりました。

・度胸

初めての単独海外渡航、初めてのサハラ以南、現地情報は少なめ!という不安を乗り切るうちに度胸がつきました。当初は勝手が分からないうえに、体格も声も大きい(ほぼ怒鳴り声)現地の方々に囲まれてびびっていましたが、慣れるにつれ対等にやり返せるようになりました。

 

-失ったもの

・病院見学のタイミング

長期休暇に初期研修病院の見学に行く学生は多いですが、丸々休暇を使ってガンビアにいたため、病院見学には全くといって良いほど行けていません。病院見学を今後どのタイミングで取るかについては未解決の問題です。

-得られなかったもの

・強いて言えば…ガンビア土産

ガンビアは非常に小さい国で、工芸品(大きいし高価)と生モノのみが自国産、あとは小さいお菓子含め全て輸入品でした。友人に「ガンビア土産買ってくるよ!」と豪語したものの良いものがなく、結局トランジット中に購入した別の国のお土産を配りました。

アフリカに行かれる際は、お土産の約束はしない方が良いかもしれません。

Q10 現地で苦労した話について

・インフラ面

「アフリカでの苦労」と聞いて、まずインフラ面が思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか。毎日の停電や水シャワーなど、確かに日本に比べれば厳しい環境ではありましたが、覚悟の上で渡航したため想像していたほど苦労はしませんでした。食堂で停電が起こると、おかみさんが蝋燭を持ってきてくださり、少し幻想的な夕食となることも少なからずありました。

・常に「よそ者」であること

インフラよりも遥かに苦しんだのが、このことです。街にアジア系の人がほとんどおらず常に明らかに「よそ者」であったため、どこへ行こうが何をしようが目立ってしまうことが精神的につらかったです。特に渡航当初は、街で人や車とすれ違うたびに話しかけられることが怖かった上に、物価が分からず定価も書かれておらず買い物の度に「よそ者値段でぼったくられているのでは」という疑心暗鬼に陥り、ホームシックになりかけました。日が経つうちに、話しかけられることにも慣れ、物価や値段交渉の仕方も分かってきたため、かなり気楽になりました。とはいえ、やはり「存在するだけで目立つ」のは気持ちの良いものではなく、ちょっとした外出でもどっと疲れました。

Q11 留学について意識し始めた時期とそのきっかけ

途上国の医療水準向上に貢献したいという思いで医学部を志した時から、留学には興味がありました。特に大学入学後の講義を通して自分の視野の狭さを痛感すると同時に、長期の海外経験ゼロのまま日本に留まり続けているようでは視野を十分に広げることは難しいと感じ、留学をより強く望むようになりました。

Q12 留学後の展望について

最終的には疫学研究、もしくは国際的な医療政策に携わりたいと考えていますが、いずれにせよ卒後はまず研修医として、臨床の現場をしっかり目に焼き付けつつ経験を積むつもりです。大学での病棟実習や今回のガンビア渡航を経て、何らかの専門を持っておく必要性を強く感じたため、専門医取得までは臨床の現場で粘りたいと思います。

当面は実習に力を注いでいくことになりますが、前回・今回の留学でお世話になった研究者の方々との繋がりは今後も保ち続けるつもりです。現在進行中の共同研究などもあるため、実習と両立しつつそれらを形にするのが当面の目標です。

Q13 最後に一言(後輩へのメッセージなど)

百人百様の経験をして帰ってくる留学には「これさえ出来れば苦労しない」「必ずこの力が身に付く」といった明確な答えがない分、いざ踏み切るにはかなり勇気が要るものです。しかし留学先では必ず、自分の想像を超えるような経験が待っています。そのような経験に出会ったとき、一回りも二回りも成長できることは間違いありません。

最初の一歩さえ踏み出せば、度胸はあとからついてきます。

決まった答えがないからこそ、自分自身にしかできない経験をして成長できる留学、ぜひ勇気を出して挑戦していただけたらと思います。

コメントを残す