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カンボジアの田舎での国際協力

  • 著者:因間 朱里 (東京医科歯科大学医学部3年)
  • 投稿日:
  • 国名:
  • 派遣先機関:ジャパンハート
  • 留学目的:医療ボランティア

一問一答コーナー

名前:因間朱里(Akari Imma)
所属大学・学年:東京医科歯科大学医学科3年
留学先の国:カンボジア
留学先の大学(機関):ジャパンハート
留学の期間:2年の3月
留学の目的:医療ボランティア
留学の費用(概算):20万円
-学費:活動費として約5万円
-家賃:(活動費に含む)
-生活費:(活動費に含む)
-渡航準備(保険、航空券、Apartmentのdepositなど):約15万円
プログラム(仲介してくれた機関/人):―
利用した奨学金:―
VISA:観光ビザ
保険:ソニー損保
留学中の住まい:ジャパンハートの寮

プロフィール

幼少期を静岡県で過ごした後、小学校入学と同時に東京都へ引っ越し。公立の小学校・都内の中高一貫校を経て現在に至る。
趣味は書道で、学生のうちに師範の資格を取ることが目標。
以前から格差問題・国際医療、診療科としては総合診療・家庭医療に興味がある。現在は国際保健医療事業開発学分野の研究室で子どもの医療受診について研究するほか、総合診療に関するイベント・勉強会や病院見学に足を運んでいる。

サマリー

・特に海外は、とにかく現地に行ってみてはじめて見えてくるものがある。
・臨床の勉強をまだしていない段階で病院に行くことは逆に強みにもなる。
・自分の考え・常識にこだわりそれを相手に押し付けるのではなく、文化や慣習の違いを理解していかなければ本当の意味の支援ではない。

Q1.留学中にカリキュラムで学んだことについて

私は今回、ジャパンハートという医療系NGOの短期ボランティア制度を利用して、カンボジア・ポンネルー地区のAsia Alliance Medical Center [AAMC]・ジャパンハートこども医療センターで3/25-3/30の6日間活動してきました。

カンボジアは、ポルポトが政権を握っていた時代、過激な共産主義のもと知識層の大虐殺・強制的な農村への移住が行われ、都市がゴースト化し、国民の5人に1人が亡くなったと言われています。事態が収束した後、全土に残っていた医師の数は40人ほど。看護師・薬剤師・医学生までもが虐殺の標的とされ、医療が崩壊しました。

医師の数が激減したカンボジアでは、医師不足を補うため、医学部で1年学んだだけで医者として働くことが認められるようになりました。当然医学知識も技術も不十分なままで医師が診療行為を行ったため、医療の質は著しく低下し、このために国民の医師に対する不信感はいまでも根強く残っています。

その影響は強く残り、現在でもカンボジアの乳幼児死亡率はミャンマーに次ぐ悪さです。信頼できる病院がない状況を改善しようということで、小児外科医・吉岡秀人先生の率いるジャパンハートがプロジェクトを立ち上げました。

【ジャパンハートの病院の入口の門】

現在カンボジアにあるジャパンハートの病院は、ポンネルー病院という以前からある地元の病院と連携する形で、成人患者を診るAAMC、そして数年前に完成した、小児がん治療を中心としたジャパンハート・こども医療センターの2つから成っています。具体的には、外来の患者さんはまずポンネルー病院を受診し、そこで対応しきれないと判断された患者さんが、ポンネルーのカルテを持ってAAMC・こどもセンターにやってきます。ポンネルー病院ではジャパンハートの医師が外来診察にあたることもあります。その他、AAMCでは周産期部門があり、出産前後の妊婦さんと赤ちゃんのケアを行ったり、2つの手術室を利用して、吉岡先生をはじめとする日本人医師・カンボジア人医師による手術が定期的に行われていたりします。こどもセンターの方では外来を行うほか、救急車の受け入れも行います。外傷などで入院している子もいますが、大半が小児がんを持った子どもたちの病床になっています。

ジャパンハートの病院は無償です。つまり、ここにたどりつけさえすれば、患者さんはどれだけ貧しくても治療を受けることができます。首都プノンペンの大きな病院で治療を受けるには、高額な治療費の支払いが必要です。その支払いができない患者さんは、どんな症状であろうと「お金が払えないのなら帰ってください」と言われてしまいます。そうした患者さんを受け入れ、できる限りの治療を施すことが、ジャパンハートのミッションのひとつです。

スタッフは医師・看護師・助産師・栄養士・事務スタッフ(広報・通訳など)がいました。それぞれ日本人とカンボジア人がいるので、スタッフ間のコミュニケーションは英語とクメール語(カンボジアの言葉)の両方を交えて行われていました。日本人スタッフがカンボジア人の医師・看護師・助産師を教育していて、彼らは非常に熱心に勉強していました。この熱意に私も負けていられないなと思います。

物資がもともと少ないこと、そして寄付で成り立っている病院だということもあり、物品は非常に大切に使われていました。たとえばガーゼは、日本製のガーゼは「きめガーゼ」と呼んで区別し、どうしても必要な時にしか使わない。普段使いには、日本製とはくらべものにならないほど目の粗いカンボジア製ガーゼを、はさみで切って丁寧に折りたたみ、使える限界まで使ってから捨てるようにしていました。ほかにも、検査はCTとエコーのみで、MRIを行うことはできないし、血液検査をしても検査機器は1台しかなく、顕微鏡はありません。薬も器具も限られているので、国内の大きな病院には劣ります。私が活動している間に、甲状腺腫が進行して失明・呼吸困難に陥り、自立歩行すらできなくなった14歳の女の子が救急車で運ばれてきました。彼女の家は貧しく、治療費が払えなかったため、大きな病院に行くも治療を断られ。その後女の子の体調が悪くなってもなかなか病院に受診できなかったそうです。その子は非常に腫瘍が進行していたのですが、化学療法や放射線療法を行えばまだ回復の余地がありました。大きな病院であればそれらが行えますが、ジャパンハートにはその設備がない。「日本だったら治してあげられるかもしれないのに」という先生の言葉は、残酷な現実として私の心に残りました。日本の甲状腺腫の生存率は95%と非常に良好だそうですが、カンボジアでは全然事情が違う。この経験は、帰国後の私が格差問題についてさらに考えるきっかけとなりました。

私はまだ医療者ではないので、直接医療行為に携わることはできませんでしたが、日本ではやらせてもらえないようなことをたくさんさせていただきました。「やれることをやれる人がやる」という雰囲気が浸透している病院だったので、日本では看護師がやらない手術器具の消毒殺菌作業を看護師がやっていたり、通訳が病気の子どもを相手していたりと、職種にとらわれない作業をやっているのが印象的でした。私も、ガーゼ折りをしたり、入院している子どもと遊んだり、患者さんにクメール語を教わったり、洗濯機をまわして干したり、針と糸で手術着の破れ・ほつれ・穴を修復したりと、本当にいろいろな雑務をやりました。自分が医師として現場に立つ前に、病院の運営を支えている業務を実際に身をもって知ることができたのは、将来の自分の視野を広げてくれたと思います。

【同時に活動していた他の短期ボランティアと手術着の修繕中】

また、ジャパンハートでは、日本では資格を持っていないとできないであろう経験もさせてもらいました。具体的には、患者さんのバイタルをとったり、傷の洗浄・消毒をしたり、手術室に入れてもらったりしました。言葉が通じない中でバイタルをとらせてもらったり、看護師の指導を受けながら患者さんに直接触れたり、目の前で手術が進んでいくのを見る中で感じたことは、自分の無力さでした。まだ医学部での勉強を終えていないのだからなにもできないのは当然です。でも、数年後には私自身がこういうことをやる立場になるのだなと思うと、いまの自分が悔しくなるとともに、いまの自分に誇れるような医師に将来なるために努力しようという気持ちになりました。これは、臨床を学んでいない段階で行ったからこそ、「なにも分からない・できない」状態におかれて得られたものだと思います。

【カンボジア人看護師について、患者さんのバイタルを取りに行っている様子】

Q2.カリキュラム以外の、留学先ならではの現地での生活について

カンボジアでは、入院している患者さんのごはんをつくったり身の回りの世話をしたりするのは患者さんの家族です。患者さんに24時間常に誰かしら家族がついているので、病院内には患者さん以外の人がたくさんあふれています。特に子どもはすることがなく退屈していることも多いので、私はよく一緒に遊んでいました。言葉がなくても、風船サッカーをしてくたびれ果てたり、レゴブロックのバケツをぶちまけられて慌ててかき集めたりしている中で、子どもの笑顔が見られるのは本当に楽しく嬉しかったです。

私が行った時には、カンボジア全土で電力不足の状態で、計画停電で午前か午後のどちらかが停電していました。病院は薬の保管などもあり必要最低限の自家発電を行えるようになっているのですが、寮は完全に電気が止まるため、扇風機もWi-Fiも切れてしまいます。30℃近い暑さの中で、気をつけないと熱中症になる状況でした。私は日本からアクエリアスの粉を持ち込んで対応しましたが、現地で長期にわたり活動に従事しているスタッフは近くのワゴンでドリンクを購入していました。

現地での食事は寮に住みこんでいるカンボジア人が作ってくれます。朝昼晩とも、白米・炒め物・汁物の3点セットが多かったです。独特の風味こそあるものの、カンボジアの食事は日本人に親しみやすい味付けが多く、私は1週間楽しく食事をいただくことができました。例外的に、「日本人ご飯」と呼ばれる、日本人スタッフが日本食を作る日があります。食材はプノンペンから調達されてくるほか、日本から持ち込まれているものもありました。私の活動中にはお好み焼き・わかめの味噌汁などが出ましたが、日本の味でほっとすることができました。

病院から徒歩1分のところに、地元のマーケットがあります。食材・衣料品など、生活に関するものがいろいろと売られていました。同時期に活動していた人の中には、クロックスのようなサンダルを購入している人もいました。

【寮の入口の門:寮はスイス系クメール人の方の家をお借りしています】

【寮では数人1部屋で、固い床にござ1枚を引き、クーラーなしの扇風機のみで生活します】

【マーケットの様子】

活動は病院・寮に限られており、自由な外出はできなかったため、あまり周囲の様子を見ることはできませんでしたが、バイク・トゥクトゥクに紛れて牛・アヒル・犬など動物がのんびり道を歩いているのが日本では見られない光景で面白かったです。

Q3.なぜその場所(国、大学)、その期間の長さを選んだか

Q3. なぜその場所(国・大学)、その期間を選んだか

-場所について

ジャパンハートの病院は現在ミャンマー・カンボジア・ラオスの3か国にあります。このうちラオスはボランティアの受け入れを停止していました。ミャンマーでは寺院の一角を借り受ける形で病院を運営している一方、カンボジアでは自前の病院を建てて医療が行われています。今回私は「日本の医療システムが外国でどのように運営されているのか」を見たかったので、自前の病院があるカンボジアを選びました。

【飛行機から見たカンボジア】

 

-期間について

短期ボランティアの最大活動可能日数は7日と決められていたので、できるだけ長く活動したいと思っていました。また、吉岡先生の手術ミッション期間が3月末に行われることが決まっていたので、それにあわせて参加したいと考え、ボランティア募集のある日の中から活動期間を設定しました。

【吉岡英人先生とのお話】

Q4.留学に至るまでの準備について

まず、ジャパンハートから渡航前に推奨されていたワクチンのうち、私が抗体を持っていなかった狂犬病・A型肝炎のワクチンを接種しました。(ただし、これらのワクチンは3回接種が必要で、2回目が1回目の1カ月後、3回目が6カ月後となっており、ボランティア募集の日程が公表された12月の時点ではすでに3回目が間に合わなかったので、医師と相談し、2回目までを接種して渡航しました。)

現地スタッフとのコミュニケーションを取るために、医療英単語も勉強していきました。会話をする上ではあまり役に立ちませんでしたが、英語で行われるカンファを理解するのに役立ちました。

Q5.準備、留学中の両方について、「こうしておけばよかった」と思う反省点と、自分なりに工夫してよかった点

クメール語の学習が不十分なままだったことが大きな反省です。一応日常会話程度を覚えていったつもりだったのですが、いざ現地に行くとほとんどなにも言葉が出てきませんでした。現地でよく使われていた言葉だけは覚えましたが、患者さんと会話するにはとても及ばず、もどかしい思いをしました。現地のことをより知るには現地の人と話すことが有効で、現地の人と話すにはそこで使われている言葉を話せることがとても重要になる、ということを改めて痛感しました。

医科歯科大のカリキュラム上、基礎医学を学び終えた2年で、3年の臨床医学が始まっていない2年生の春休みという時期に行ったことは、ある程度なにが起きているのかを理解しつつ、今後の勉強のモチベーションを上げるのによかったと思います。

Q6. 留学していた場所について

カンボジアには5月からの雨季と、11月からの乾季があります。気温は年間を通して30℃近いですが、日本よりはやや湿度が低いように感じました。首都プノンペンの経済発展が著しい一方、農村部は取り残されている状況です。

【空港から病院に向かう車内で撮った、病院付近の様子:中央に写っている山がウドン山】

Q7. 留学中どのような人とかかわったか

日本人スタッフ・カンボジア人スタッフのほか、カンボジア人の患者さんとその家族の方、また同時期に活動していた日本人の短期ボランティアと関わる機会がありました。短期ボランティアは、高校生から数十年看護師をしている人まで本当に様々で、医療職でない人もいました。医学生も数人いて、他大学の話を聴くことができて面白かったです。

Q8. 英語の能力はどう変化したか

カンボジア人スタッフは、日本人の多い環境で働いている人たちなので日本語の会話も多かったのですが、彼らにとっても英語は第二外国語であるためか、専門用語を除けばそれほど難しい英会話はありませんでした。しかしアクセントが独特で、聞き取るのに非常に苦労しました。特にカンファでは、日本人スタッフが話すと内容がよく分かるのですが、カンボジア人スタッフだと専門用語も混ざっていて全然聞き取れず、こうしたクセのある英語のリスニングも訓練する必要があるなと思いました。

Q9. 留学のメリット/デメリットについて

-得たもの

日本にいても分からない価値観・文化・慣習の違いは現地に行ってこそ感じたものでした。特に、私が行ったのは先進国ではなかったので、日本とは大きく違う生活水準に驚かされました。自分の考えとは相いれない部分もありましたが、そうしたものを拒絶したり否定したりするのではなく受け止め、それに寄り添おうとする姿勢は、医療以外の現場においても重要なことだし、これができていなければ持続可能な活動を行うのは不可能だと思います。こうしたことは日本にいてもよく言われることですが、実際に現場に行くと、いかに自分が頭でわかったつもりになっていただけだったかを痛感させられます。

-失ったもの

語学への自信でしょうか( 笑 )。英語、それも日本で学んでいる英語だけでは世界で通用しないということ、日本語・英語が通じない場において自分があまりにも無力だということは、分かっていたとはいえやはりショックで悔しかったです。

-得られなかったもの

行動範囲が非常に狭かったのと、完全に現地の人の中に入り込んで生活していたわけではなく、病院という比較的きちんとした施設で活動していたので、カンボジアでの生活そのものは体験できなかったかなと思います。

Q10. 現地で苦労した話について

暑さには本当に困りました。こどもセンターでの外来を見学させてもらっていた時、診察室が半屋外で扇風機・クーラーもない状態で数時間立ちっぱなしだったため、頭痛を起こしてしまいました。昼休みに部屋で休んだら回復しましたが、スタッフの皆さんに心配をかけてしまい、申し訳なかったです。特に日本が寒い時期にカンボジアに行くときは身体が暑さに慣れていないので、熱中症対策は必須です。

Q11. 留学について意識し始めた時期とそのきっかけ

医科歯科大では1年で教養課程の勉強が終わった後、2年から医学の勉強が始まります。講義室で座って話を聴いてテストを受けるだけの受動的な生活を数カ月していて、「本当にこれでいいのだろうか」という思いが芽生えました。もともと発展途上国での医療活動に興味があったので、2年生の夏頃から、本格的に医療ボランティアに行くことを検討し始めました。

Q12. 留学後の展望について

直近では、9月にはこれまでにジャパンハートの活動に参加してきた人たちが集まる会が開催されるので、それに参加する予定です。

ジャパンハートでは最短2週間から短期インターンの受け入れも行っているので、ボランティアとは違った形でより長い期間カンボジアに行くことを考えています。時期については未定ですが、臨床医学の勉強が終わるのは4年の5月頃なので、臨床医学を学び終わってから行けたらいいなと思っています。

自分の将来のキャリアとして、ジャパンハートないし似たような活動をしている団体に加わるかどうかは決めていませんが、国際医療に関わりたいという思いは変わっていないので、この先様々な可能性を探っていく中で、選択肢のひとつとして考えていくつもりです。

Q13. 最後に一言(後輩へのメッセージなど)

医療ボランティアを検討したことのある人は少なくないと思いますが、ジャパンハートは語学力不問でハードルが低く、医療従事者の資格を持っていなくても手術室に入れてもらえたりバイタルをとらせてもらったりと、かなり患者さんに近いところで活動させてもらえる団体だと思います。さらに、日本国内で展開している事業がいろいろあるので、帰国後も活動に関わり続けることが可能です。学生にとっては航空費が少々高額なのがネックだとは思いますが、得られるものは決して小さくないので、医療系学生にはぜひ経験してほしいです!

Q14. その他、言い残したことがあればどうぞ

ジャパンハートのホームページです。今回紹介したカンボジアでの短期活動以外にも様々な情報が載っているので、ぜひ一度見てみてください。

https://www.japanheart.org/

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