
大陸の異なる4つの国で医療を学ぶ
一問一答コーナー
名前:齋藤幸一郎(Koichiro Saito)
所属大学・学年:高知大学医学部医学科4年
留学先の国:アメリカ、スウェーデン、タイ、ブラジル
留学先の大学(機関):スタンフォード大学、ヨーテボリ大学、マヒドン大学、南マットグロッソ連邦大学
留学の期間:2018年3月〜2018年9月(4年の後期始めから1年間休学した)
留学の目的:自分の「知らない」を見に行き視野を広げる(結果的に病院実習がメイン)
留学の費用(概算):約200万+観光費用
-学費:アメリカが50万ほど、他の国は無料
-家賃:アメリカ(6千/日*)、スウェーデン(5万/月)、タイ(2.5万/月)、ブラジル(4.5万/月)
-生活費:アメリカ(2.5千/日)、スウェーデン(1.5千/円)、タイ(千円/日)、ブラジル(千円/日)、アメリカ以外は朝昼晩のうち2回自炊くらい
-渡航準備(保険、航空券、Apartmentのdepositなど):
海外旅行保険 全期間で13万、航空券(アメリカ10万、スウェーデンと次にタイに直行で30万、ブラジル25万)、黄熱ワクチン 3000円、ビザ アメリカ1500円、スウェーデンいらない、タイ3000円、ブラジル1500円
プログラム(仲介してくれた機関/人):スタンフォード大学のVIA program,高知大学医学部の医学部長
利用した奨学金:なし(トビタテ留学Japan二次選考で落ちる)、大学の奨学金、足りない分親に借りた
VISA:
保険:
留学中の住まい:アメリカはプログラムが用意してくれたホテル、他の国は大学近くのairbnbの宿(個室あり)
プロフィール
1994年高知県出身。高知県立高知追手前高等学校卒業後、1浪を経て2014年に高知大学医学部にAO入試にて入学。生まれてからずっと高知。部活は軽音、ダンス、合唱などをゆるく。読書と筋トレが趣味です。将来は私が生まれつき喘息とアトピー性皮膚炎を患っていることから、同じような疾患を持つ人を助けたいというのがあります。それらはアレルゲンから引き起こされますが、不特定のストレスからも誘発されることから、ストレスマネジメントの分野にも興味があります。「自分の知らないものを見に行く、視野を広げる」が当初の目標だったために、自分の関心のあるものに固執せずアメリカ、スウェーデン、タイ、ブラジルで医療ベースで活動。なぜこのような共通点の薄い多様な国を選んだかはQ6に記載。
サマリー
この報告書は
・医学部
・大学の勉強のモチベーションが見えなくなった
・特定のやりたいこと、行きたい場所はないが、留学にはなんとなく憧れあり
・アメリカ、スウェーデン、タイ、ブラジルのいずれか、あるいはその近くに関心あり
そんなひとに見てもらえたら、参考になる部分があると思います。
Q1. 留学中にカリキュラムで学んだことについて
<アメリカ>
アメリカだけ既存のスタンフォード大学が提供するプログラムに参加した。VIA programは日本(時期によってはアジア)の医学生を対象に行われるもので、アメリカの医療と文化、さらにシリコンバレー式のイノベーションデザインシンキングといった幅広いことを学べる。
・講義は以下のようなもの
生命倫理、終末期医療、マインドフルネス、身体診察の練習、医学教育、保険制度、腎移植の現状、デザインシンキングetc
・アクティビティーは以下のもの
アメリカ LGBTの歴史とゲイを受け入れている施設の見学、救急の臨床見学 Dr.Mitarai、スタンフォード生徒の交流会 etc
印象に残った3点を共有したい。
・授業スタイルの違い
授業形式が全く異なる。授業の合間に意見を言う時間を設けてくれて、その意見から思わぬ方向でディスカッションが始まったりする。主体的に意見を言うことで記憶も定着しやすいし、何より授業そのものが楽しくなるように感じた。
自分は、その場の自分の役割を考え、その分野に対し十分な知識を持っていなくても、切り込み隊長のようにジョブのような意見を言い、他の人も意見を言い易いような空気作りに徹した。ふと思いついた質問とかも授業の後に聞きに行くのではなく、その場で全体にシェアするように心がけた。
スタンフォードの学生はむしろ先生に自分の能力をガツガツ言って認めてもらう傾向があるが、日本人は周りの目を気にし、間違いのリスクを避けて意見を言わない傾向がある。中間のディスカッションを生み出す雰囲気づくりが大事だと、ある本に書いてあった。
プログラムの後半の方になってくると、自分だけでなく、周りの人もアメリカ式で積極的に意見を言うようになり、ディスカッションしやすい空気になっていた。
・救急の現場見学
今回のプログラムで一番印象的だったのが、救急の現場見学だ。実際に患者を見ながら、ということはなかったが、直近で来たケースについて臨床推論の形式をとり、アメリカでの救急の視点を学べた。そのインストラクターは日本人で英語が流暢なのはもちろん、現場を統率しており、判断も迅速で本当に格好よかった。
救急では患者の情報は十分になく、かつ限られた時間内で最善を尽くさなければならない。その緊迫感をアメリカの現場で感じることができたのはいい経験だった。
・スタンフォード生と交流
学問だけでなく、音楽やスポーツなどにも励んでいる人が多く、文武両道そのもの。中にはオリンピックに出た人も。アメリカで医学部に入るには、その前に他の4年制大学の課程を修了し、かつ課外活動にも取り組んでから入試に合格する必要がある。その分自分のキャリアをしっかり考えて入った人が多く、マネジメントやプログラミングなど医学以外の別のスキルを兼ね備えている人が多い。同じ医学生として少し劣等感を感じつつ、刺激をもらった。
<スウェーデン>
トビタテ留学Japanで提示した医師や患者の満足度に関するアンケート調査の希望を出していたのですが、倫理的な側面や、患者さんの情報漏えいを防ぐため、結果的に実施出来ず。何か代替案はないかと、メールのやり取りが数ヶ月、結局交渉未成立のまま、スウェーデンに行くことを決意。着いてから直接交渉するも、やはり迅速には対応できないとのこと。せっかく来たならスウェーデンの文化を学べる授業があるから出てみたらと発案があったので、参加させていただいた。
しかし、私のやりたいものとかけ離れていたので、その授業を受けるのはやめ、ヨーロッパをバックパックで周遊することに決めた。結果的にこの決断は非常に自分の成長につながったが、授業を辞める際の、交渉が雑なまま飛び出してしまったので、ヨーテボリ大学のコーディネーターには大きな迷惑をかけてしまった。
<タイ>
タイとブラジルは、スウェーデンの反省を生かし、こちらから見たいものの希望をいくつか上げて、可能な範囲で見させていただいた。具体的には、現地の学生と一緒に病院にて診察や手術を見学するということを軸に、現地の医療の雰囲気を学ばせていただいた。
・タイの医学部のカリキュラム
タイの医学生は卒後、地方の方に即戦力で派遣されることになっているらしい。そのため、学生時代に臨床レベルの訓練を積まなければならない。また医学用語がタイ語に置き換わっていないことが多く、教科書は英語とタイ語がミックスになったものだった。タイ人の医学生は、英語はかなり流暢(アクセントが大体単語の下の方にあり聞き取りにくいが)だった。
留学を決める際、目的にもよるが、自身が英語を喋れるか、そして現地の学生が英語を喋れるかどうかはひとつの重要な決定因子になると思う。そういう意味で日本と比べ、タイは留学をする際にも、受け入れる際にも、世界に対する門戸が開いているように感じた。
卒業までのカリキュラムは、日本と同じく6年制だが、3年までに医学の各科目を1周し、4年から3年間臨床実習する、という日本の医学部より1年ほど早いもの。
4年生と一緒に臨床実習(内分泌内科、呼吸器内科、腎臓内科、心臓外科、整形外科)を回ったが、かなりレベルが高かった。彼らは病院実習中、医師がいなくても患者さんを問診でき身体診察を行い、最後の処方箋を作るところまでこなしてしまう(もちろん医師の最終チェックは必要)。
日本だと医学部6年生でもここまでに臨床スキルを持つ人は少ない。日本は知識、インプットに重きが置かれているように感じた。
タイの医学実習では、診た症例をノートにまとめ、後で監督と一緒にディスカッションしフィードバックをもらえるという、アウトプットベースで勉強できるシステムのようだ。ここまで即戦力を求められる背景には、低所得者に対して医療費を無料とするシステム、医療の高度化による高齢化、そして大学病院が約20個しかない、バンコクとそれ以外の医療アクセス・インフラの格差など様々な要因があると思われる。
・タイの大学病院内
大学に入ると患者さんがごった返していた。受付待ちの長蛇の列、診察待ちの無数の人、そして、廊下からエレベータにまで至る入院用ベッドとその上で寝そべる患者。かかりつけ病院で出来ることは限られているので、沢山の患者が押しかけてくる。
病院のなかには、黄色いシャツを着た人たちがいた。彼らは定年退職や子育てが終わった人がほとんどで、自主的に希望した人たちで給料は3000円/月ほど。
院内で子供を散髪してあげたり、入り口で演奏していたりした。患者さんたちは彼らと喋ったりして、患者で溢れる病院内を明るくしている存在だと感じた。安い給料でも、何か自分にできることがあるだけで幸せと言っていた。
訪問診療でもこのようなボランティアが存在し、人員が足りていない時に代役で急遽駆けつけたりする。地域コミュニティの繋がりと支え合いを強く感じた。
<ブラジル>
・医療機器の整っていない環境での教育カリキュラム
ブラジルでは皮膚科、感染症内科、呼吸器内科、かかりつけ病院の実習、外科の手技トレーニングに参加させていただいた。ブラジルではリーシュマニアや黄熱、ハンセン病、結核など日本であまり見られない病気を見ることができる。
タイと同様、医療資源の足りていないブラジルでは、医学部の学生に求められるスキルは日本の比でない。タイよりも迅速なカリキュラムで2年までで各科目を勉強し終え、3年から患者を相手に臨床スキルを磨いていく。ブラジルでは医師国家試験はなく、卒業が医師認定を意味する。1年の間に教養科目を習うことはなく、医師の専門学校のような位置付けのよう。タイやブラジルと比べると(実際見ていないがネットの情報でアメリカやスウェーデンと比べてみても)日本では、座学中心で臨床実習でも患者と主体的に触れ合う機会はほとんどなく、国家試験に重きを置いた授業だと感じる。
卒後研修医1年目は文字通り主体的に患者を見始める「1年生」だが、ブラジルやタイでは学生と研修医の連続性が強く、研修医1年目は「7年生」のようなイメージ。3年から診察スキルだけでなく、手術の手技も練習する。全ての学生が手技を学ぶ理由として、日本では卒後一般医になった後、外科医になりたい人だけ手技を本格的に練習していくが、国土の大きいブラジルだと、病院間の連携は物理的に困難であるため、過疎地でも様々な対応が出来るよう、そのスキルの一環として手術の練習もする必要がある。
わたしは手術器具の渡し方、受け取り方、扱い方の指導と、実際に器具を使って、牛の舌を縫合する講義を受けた。私は外科医になるつもりは全くなかったのだが、やってみると意外と楽しかった。日本の外科医不足を改善するには、学生に触らせるのが正解なのかもしれない。
ニーズに合わせた医学教育だが、タイやブラジルの教育システムは日本において非常に参考になるものだと感じた。私のように、医者という仕事に憧れと期待をしているが、大学の勉強はつまらないという声は多いように思える。タイやブラジルの学生も同様勉強に苦しんで入るが、客観的に見て、当事者意識やモチベーションが違うように見える。それはおそらく、早い段階から患者に触れ合えるからだと推測する。たしかに知識のインプットは重要だが、それよりも学生にそのインプットを自発的に行わせるインセンティブを与える機会が入学後約4年間(ポリクリ)が始まるまでに何回あったか。学士編入生や社会人を経由してきた人以外は受験勉強しかしてこなかった。
親が医師とかでない限り、あるいは勉強そのものが好きでない限り、将来のプランを立てながら内発的に学習をして継続していくには限界がある。患者と触れ合い、知識面で弱者であり、健康や家族や仕事などさまざまなバックグラウンド悩んでいる人を主体的に見ることで、その人やその病気について知りたい、何かその人の一助となりたい、と考えるのが自然なのではないか。
また日本において、教科書みたいに単純で明白なケースはAIが代替していくこの時代、目の前の患者から、情報を読み取り複雑な情報を処理する能力は、日本の医療において比重は大きくなってくるはずである。人口動態はこれから大きく変わって行き、高齢者の割合が増えていくのは間違いない。複数の病気を持つ患者、介護をしてくれる家族がいない患者など、座学で学べることだけで対応するには限界がある。
学生のうちから、必要な知識をアップグレードしていかないと、医師になって過酷な労働環境の中モチベーションは保てないと思う。とはいえ受験勉強しかしてこなかった私が、人の生活を根源的にサポートできる医療について学べる医学部に入ったのは、ベストな選択だったと今では自負している。
このタイやブラジルの教育スタイルは非常に参考になり刺激になった。
・医療へのアクセス問題
ブラジルは日本の国土の約22倍。私がいたところはマットグロッソ・ド・スル州という比較的田舎のところ。日本の国土面積と大体同じである。病院についてであるが、この州において中心部に大学病院が3つほどといくつかのprivate hospitalがある。医療は国によって統制され、SUSという機関がprimaryクリニックと大学病院を運営している。最貧困層がSUSの保険を持っており医療費はタダ。
貧困な患者はまず、指定された近所のかかりつけ医のところに行く。そこで対応できない場合は大学病院に送られる、というシンプルなシステムだが、日本と比べるとその差に言葉が詰まる。
そもそも約5000万人が極度の貧困層で、保険に入れないか、入っていても病院へのアクセスが悪くいけないケースが多い。ブラジルの北部や中西部は特にその傾向が強く、教育を受けられず違法ドラッグの売買で生活をまかなっている子供が沢山いると聞いた。
貧困者は地域格差(物理的な距離)から脱することからできず、お金がなければ教育を受けられず、衣食住は満たされず、仕事にはつけず、お金は得られないという負のスパイラル。そして罪を犯してしまう人も多い。犯罪の発生率は非常に高い。それとは対照的に、富裕層は都心部にて満足たる衣食はもちろん、十分な教育の機会と医療アクセスを得られる。病気にかかった時は近くにある清潔で医療設備の整った privateの病院にて、待ち時間もほどほどに医療を受けられる。このように地域・経済格差による医療アクセスの差は非常に大きいことに加え、その貧困層が多すぎる分、大学病院の慢性的な需要過多による待機リストは後を絶たない。クリニックには日本のように、十分な機器がない。私が見たクリニックでは電子媒体は1、2台ほどのPCのみ。診察室には、診察用のベッドと医師と患者が向き合う机と椅子。医師は聴診器など最低限の医療機器は持っているが、信じるのは己の五感のみと言わんばかりの環境。そこではレントゲン撮影も採血もできないので、診察でわからなければ、患者は検査ができる施設に送られる。そして改めてかかりつけ医のところにいき、診察される。
そして何らかの異常があり対応できない場合は大学病院へ。救急と判断されない場合、待ち時間は計り知れない。クリニックも大学病院も長蛇の列だ。大学病院ではトリアージをとって優先順位を極めるが、一番ハードなレーンも長蛇の列。
救急の病棟をみると、廊下には患者がずらり。トリアージで赤、黄、緑にリスク順に並べて、順番に診ていく。緑(一番safe)と判断されると、廊下が彼らにとって病室となる、と救急医が教えてくれた。黄色、緑色の患者は、少し大きな部屋で、1m間隔で並べられている。もう一つベッドが入るか入らないかぐらい、びっしりと詰め込まれており、別の救急患者が来たら、どこに入れるのか聞くと、別の病院に一応電話するが、おそらくどの病院も一杯で受け入れ先はないだろうと言っていた。
ある患者は州の境目の田舎4000km離れたところからやってきた。自分の病気が何なのか、治るのか、いつ見てもらえるのか、仕事に復帰できるのかと不安だらけで、長蛇の列で待った末にやっと診てもらえたと言っていた。
日本と異なり、こちらではお金があればより良い治療をより早く、的確に治療してもらえる。この生々しい格差を見た経験は忘れられないだろう。大学生はこういった貧困な環境で暮らす患者を中心に見ている。それに応じた知識のインプットの質や量は日本のそれと違うであろうし、モチベーション、当事者意識は何倍にも高まるだろう。
Q2. カリキュラム以外の、留学先ならではの現地での生活について
<アメリカ>
プログラム中はあまり自由時間はなかったが、その中で時間をやりくりして色々観光に行った。サイクリングで町中をぶらついたり、大きな植物園に行ったり、現地の食べ物を楽しんだり。VIAのスタッフや仲間とは結構仲良くなることができて、帰国後も会ったりしている。
ちょうど発砲事件が相次いでいる時期で銃社会反対デモが行われていた。お年寄りから小さな子供まで、オリジナルのメッセージの入った横断幕のようなものを持って、デモに参加していた。休日の時間を使ってまで自分の意見を訴えようとする市民の光景に、色々考えさせられた。
またサンフランシスコはアメリカの中でも大都市できらびやかなイメージがあったが、行ってみるとどの路地にもホームレスの人がたくさんいて、貧富の格差、自己責任の社会であると感じた。犬のフンかとよくみると人糞だったこともある。
夜街中を歩いていると時々、違法薬物なのか異臭が漂って来ることもあり、夜一人で出歩くのは無理だなと思った。と言いつつ、プログラム後は近かったのでロサンゼルスへ1人旅。ハリウッドやビバリーヒルズ、サンタモニカビーチ、グリフィス天文台など観光を楽しんだ。
<スウェーデン>
ひとり旅ではとりあえず大きなバックパッカー用のバッグと必要そうなものを1日で揃え、無計画でポーランド行きのチケット(2000円)を購入。そこから、計画をたてつつスロバキアを経由して、ハンガリー、イタリア、バチカン市国、スペイン、フランス、スイス、アイスランドとスウェーデンを加えヨーロッパ9カ国回った。おそらく一生に一度しかできない経験だったと思われる。
バッグひとつで割となんでもできちゃうんだなと謎の自信がついた。その間に沢山の出会いもあり、ヨーロッパの歴史も感じることができて、単純に楽しめた1ヶ月であった。お金はかなり使ってしまったが。
<タイ>
・ワットプラパットナンプ
「AIDSの人たちが支え合って生活している寺院」というものがあるということで行ってみた。バンコク中心から車で3時間ほど。行ってみると施設は、140人のAIDS患者、週1でやってくる医師、看護師二人、ボランティアの人で構成されている。
正直行く前は、もしかしたら危険かも、かなり暗い場所?みたいに想像したが、行ってみてその考えは一変した。患者さんたちは皆笑顔で過ごしていた。AIDSは友人や家族に説明しにくいが、ここではみんなが理解してくれる。誕生日会や新年会も開かれ、皆は家族や親戚のような存在と話していた。
そしてここのスタッフの中にも、かつてAIDSでお世話になったという人がいた。文字通り「AIDSの人たちが支え合って生活している寺院」であった。課題として、年々AIDSに対する治療は発達しており、亡くなる人が減っている一方待機リストがどんどん増えていて、受け入れられない人が多くいるといった問題はあるものの、人と人の繋がりを感じられる感慨深い場所だった。
・国際交流
私が行ったマヒドン大学は世界的に有名な病院のようで、沢山の外国人が留学目的で訪れている。実習を一緒に回ったり、観光しに行ったり、タイでは世界中のつながりができた。
・ タイ人は「超」がつくほど親日
大体のタイの医学生は日本に行ったことがあるという(体感8割)。日本人がタイのことを好きなように、タイ人は日本のことが大好きなようだ。私が外科を回るとき対応してくれたコーディネーターは自称オタクだと誇らしげに行っていた。日本食のレストランも沢山あり、留学するにはかなり過ごしやすい場所だと思う。何よりタイ人のことが好きになること間違いなし。
<ブラジル>
ブラジルには沢山の日系人がいる。そして世界でもっとも日本の文化が影響を与えた国だとこちらの人が言っていた。漫画やアニメやもちろん、そばや寿司やすきやきなどの食べ物、空手や剣道や柔道などの武術などは言葉そのままに存在する。ラテン系のおおらかな人からすると日本人は仕事を時間通りきちんとこなし、土日もしっかり働くその姿から、日本人には尊敬の意をもって対応するようだ。私もそれに恥じぬようブラジルについて勉強したつもりだ。ラテン系の人は外交的な人が多く、休みの日はパーティーをして大勢で楽しむ。
内向的な私は時々疲れてしまうこともあったが、ビール片手にBBQは最高だった。ほぼ毎週末家のホストがBBQパーティーを開いて、近隣気にしない大音量のBGMとサッカーの試合を映像で楽しみながら、ひたすら騒いでいた。これほど人懐っこくハグで受け入れられたことは初めて。ブラジルでは理解し合うのに必要なのはポルトガル語や英語だが、認め合うのに必要なのは語学力ではなくハグだった。目の前の人と向き合える仕事をしたい。
Q3. なぜその場所(国・大学)、その期間を選んだか
正式な単位の取れる交換留学の方が安く簡単だが、申し込みの締め切りが切れていた。来年とも考えたが、今4年生であり、これからのカリキュラムを考えると今しかないと思い、休学届を出し、個人的に各大学に申し込み、留学することにした。
-場所について
視野を広げることが目的だったので、歴史、文化、医療の異なるであろうと予測の元、大陸の違う国をいくつか選ぼうと思った。予算は奨学金に加え、親に頭を下げた。将来返すことを誓い、お金のことは気にしなかった(もともと無駄遣いは全くしない性格で、塾や私立に今まで行かなかったことから、今回の金銭面は目をつむってくれた)。比較的円滑に連絡が取れると推測し、所属大学と提携校であるところを選んだ。
(トビタテの申し込みの締め切りが1ヶ月後で大学の学生課の方や教授、医学部長からアドバイスを頂いた上で渡航国を決め、各提携大学から了承を得る前にこちらで勝手に仮決定し、勢いのまま向かったのが正直なところ)
-期間について
振り返るとスケジュールはこのような感じ。
9月 4年生前期の終わりに休学し、留学を決めた。
トビタテ留学JAPANを紹介していただいたのもその頃。
10月学祭とトビタテ1次審査の準備。
11月 英語力のスコアが必要ということでIELTS(12月頭)の勉強
スタンフォードのVIAの書類作り。
12月 トビタテ1次審査合格。2次審査の準備。VIAの書類作り。
1,2月 英語、勉強会、読書、各大学との交渉。トビタテ2次審査で不合格。
VIAのスカイプ面接。
3月 アメリカにてスタンフォード大学のVIA programに参加。
4,5月スウェーデン
6,7月 タイ
8,9月 ブラジル
2017年9月時点で留学を決める(直感的)。確か悩み始めてから決めるまで2週間くらいだった。
Q4. 留学に至るまでの準備について
◯日程を決める
まず、終着地点として今休学するなら2018年10月頭の後期から4年後期の単位を取るためまた復学しなければならない。そしておそらく他の留学生と違うのが、 自分が一貫してやりたいことは無かったこと。 研究や授業参加、課外活動など決まったやりたいことはなく、見られるものは全て見て視野を広げたいといった、ぼんやりした目標だけであった。
その上で、トビタテで文科省から奨学金を得るためのprojectを作らなければならず、「視野を広げたい」では奨学金は得られないので、いつどこで何をどのようにするのか1ヶ月で決めなければならなかった。目標を見つけるために視野を広げようと、留学を決意するも、1ヶ月でprojectを作れという、いきなり窮地。
日程の整理。まず友人からのアドバイスでスタンフォードの日本人医学生向けのプログラムが3月にあると聞き、それは決定とした。そしてトビタテの2次審査の発表が年末あたりだったので、それまでは日本に待機しなければならない。英語力と情報収集に徹することとして、それ以降どの国にどれくらいの期間行って何をしようと考えた。いろいろ考えたが、行きたい国も定まらず、本当に自分がやりたいことが決まらないまま数週間経ったので先に国から決めることにした。今思えばそれが1ヶ月で見えてくるくらい広い視野と将来のプランが見えているなら留学をしなかったと思う。
上記のように渡航国を決めた。
◯何をするか。どのようにするか。
自分は医学を学んでいるので、医療の関与する社会問題をピックアップ。それぞれ勉強し、最終的に自分の関心のある過重労働問題をトピックに、「各国で医療制度や、医療現場の雰囲気やシステム、教育制度、患者満足度、医療スタッフの連携などなどを学び、国際的な視点から日本の過重労働問題を解決する一助となる」的なprojectを考案した。結果的に2次審査の面接で、詳しくないお金事情のことを突っ込まれ撃沈。「どのように」の点が曖昧だったと反省。
◯トビタテ留学JAPANからトビタッてから
トビタテから解放されて、1月からは自由にあれこれ考えた。向こうで生活するだけの情報をまだ調べられていなかったので、調査。過ごしやすい季節、向こうの長期休暇、費用など色々考慮し、海外に行くことを前提に日本でできることを2月までやり、3月はスタンフォードVIA、プログラム、4月以降2ヶ月ずつスウェーデン、タイ、ブラジルの順で行くことに決めた。
◯上記以外に準備したものとして
・クレジットカード
JCBはあまり海外では使えないようなのでMasterのクレジットとVISAのデビッド用意。
・ビザ
各国によって全く異なるので、早い段階から情報集めをする必要がある。今回の準備で一番大変だった。具体的にはQ6に書いた。
・海外旅行保険
意外と高い。でも盗難のリスクは当然日本より高いし、予期せぬ犯罪や怪我に巻き込まれることを考えると、長期滞在の場合は必須だと思う。
・予防接種
出国の1ヶ月前にブラジルでの黄熱対策でワクチン予約の電話を入れると、残り1本しかないので急いで予約してください、と言われた。しかもその次の月に(アメリカにいる頃)にそれがないとブラジルに入国できないという制度になって、胸をなでおろしたのを覚えている。
・各国の情報調べ
各国の治安、気温、感染症、物価、移動手段など
・iPad
PCだと大きいので、初期投資としてiPadとapple pencilを購入。Kindleで本を読んだり、メモをデータ管理したり、リラックスするためにyoutube見たり、マインドノートを書いたり。結局Kindleのおかげで海外にいる半年で30冊以上読んだ。好きなタイミングで好きな本を買えるし、もちろん物理的にかさばらないのは本当にありがたい。海外にいる半年でやっぱりパソコンが必要だ、と思ったことは一度もなかった。
・薬半年分
喘息とアトピーを持っているので、毎日飲んでいる薬を半年分準備しなければならなかった。かかりつけ医に相談し、紹介状をいただいて、大学病院にてお願いしたが99日分がマックスと言われ、2回に分けてもらいに行った。全部で1kgくらいの量になった。
・航空券
国を仮決定した半年前に購入。早いほど安い、というわけではないが計画を決めていく上でのベースとなる。留学で雑務が多すぎて、何も決められないときはとりあえず航空券を買うのをおすすめ。アメリカで10万。スウェーデンの後にタイにそのまま連続で行ったので合わせて30万、ブラジルは25万。
・現金
各国に入国するたびに、何かあった時用に1万円を封筒に入れていつでも出せるようにしていた。例えばピストルを突きつけられたときにすぐに渡せるように。そんなことはなかったが、カードが使えないお店がたまにあるので、急に必要になったときに役立った。
・身分証明、航空券のコピー、連絡先
紛失時やトラブルにあったとき用に、常にそれらのコピーと現地で信頼できる人、領事館の連絡先は持っていた。
Q5. 準備、留学中の両方について、「こうしておけばよかった」と思う反省点と、自分なりに工夫してよかった点
◯反省点
スウェーデンで思ったことが全くできず、コーディネーターにあまり相談せず勢いでヨーロッパ周遊に飛び出してしまったこと。個人の受け入れでも、向こう側では沢山の交渉を経て受け入れてくれている。後輩の受け入れの際にも支障を来たしかねない。その自覚を持って、留学先では行動すべきだと反省。
◯工夫した点
日本人は教育指導の上、自分の意見をアウトプットすることに慣れていないし、相手の言っていることがわからない。理解できなくても、その場の空気が悪くならないように、わかったふりをすることが多いというのはよく聞く。自分も留学始めの頃その自分に気づき、迷ったら、”Don’t hesitate(, or die)!”と頭の中で言う習慣をみにつけた。国によるかもしれないが、スウェーデン、アメリカ、ブラジルでは主張が強く、願望をはっきり言葉にした方が受け入れてもらえた気がする。タイは日本と似ていて、空気を読む雰囲気があった。
・自分の気持ちのアップデート
海外に行く前と行ってからでは、情報量の差からやりたいことが自ずと増えてきて、変わってくると思う。自分の場合は「なんとなく視野を広げ色々チャレンジ」から最終的に「現地でしかできない学びと交流を楽しむ」という軸に以降し行動に移した。その度mind mapを描いて、本当にやりたいことを優先順位をつけて軌道修正させていった。そうするうちに自分の意見も言語化できて一石二鳥だった。
・facebookにて報告
定期的にfacebookに投稿することを義務付けた。
初めは心配する家族に向けて、安心させる目的で始めたが、いざ始めると当たり前だがネタが必要で、インプットに対するアンテナが強まったと感じる。具体的にはわからないことは質問したり、やりたいと思ったことは積極的に情報収集したり。よりアグレッシブに海外でしかできない体験にトライできたと思う。さらにfeedbackももらえ、自分の体験や学びに深みが出てよかった。
Q6. 留学していた場所について
いずれの国も花粉症がなく日本より過ごしやすいと感じた。
・アメリカ
ビザはe-VISAというものをネット上で購入できる(3000円くらい)。3月は日本の秋のように少し肌寒く、その時期には珍しく雨が多かったよう。サンフランシスコのような都会は安全だと思っていたが、町中にホームレスがいて、時々怖いなあと感じる人もいた。物価は体感日本の1.2〜1.5倍。レストランは安いところだと健康的とは言えない。移動はUberが中心。人は人種多様。
・スウェーデンおよびヨーロッパ圏
ビザは確か3ヶ月以内の滞在なら必要なし。さらに一度ヨーロッパ圏に入ると、その国々の移動は自由(入国審査いらない)。航空券もかなり安い(スウェーデン→ポーランドは2000円だった)。スウェーデンは聞いたところ日本でいう冬の時期は日没が早く、みんな仕事をはやくきりあげ、町は閑散とする。その時期に行った留学生や現地の人は「その時期は鬱になりそう」と言っていた。北欧なだけあって寒い。4~5月は10度前後だった。雨は少ない。治安はかなり安全だと感じた。が時々スリはあるらしい。
ほぼみんな英語喋れる。第二言語が英語の国で一番英語が上手な国だとか。物価はかなり高い。体感1.5~2.5倍。インドカレー料理屋で2400円払ったのは良い思い出。現金は基本的に使えないので注意。あとレストランとかでない限り公衆トイレは基本有料でその時はコインが必要。移動はアプリを使ってバスや電車。一応Uberも使える。人は男女共モデル体型、ルックスで小さい日本人からすると少し威圧的かもしれないが、みんな喋ると明るく優しいと感じた。
・タイ
ビザは教育ビザが必要だった。はるばる大阪や東京などに行く必要があり、結構手続きが大変だった。6~7月は雨季。行く前は雨がずっと降って大変だろうと思っていたが、夕方5時くらいに決まってスコールが降るくらいで、傘をさしたのは2ヶ月で1回だけだった。気温は30度くらいだが湿気は少なく、かなり過ごしやすかった。ちょうどその時期日本では大阪での地震や40度を超える猛暑、大雨による洪水など自然災害が多発し、現地の人が心配してくれた。治安については、バンコクでは全く問題なかったが、スリはあるよう。学生は高校のあいだにspeakingの練習をするようで、現地の医学生はみんなバリバリ喋っていた。物価は日本の0.3~0.8倍。親日の国で日本レベルの日本料理屋もいくつかある。個人的にはタイ料理は日本料理と似ているが、甘みと酸味が混じっている感じで抵抗があった。移動はバスが使えたらかなり安い(距離に関わらず27円で大学病院へ行っていた)。タクシーも安く30分ぐらい乗って500円くらいだった。
親日であることが痛いほど伝わるほど歓迎された。日本人ってだけで好きになってくれる人ばかり。こちらもタイ人のことが大好きになりました。
・ブラジル
ビザは2018年からe-VISAが導入され、ネット上で手に入れられるようになった。しかしサイトがいまいちで調べにくく、提出書類の写真は何度もメールでもう一度送るよう指示された。
基本的に雨は少なく暑い。日によって温度が大きく変わり、10度くらいになることもあり服装に注意。治安について。私がいたのはカンポグランデという内陸の田舎の都市。基本的に田舎の方ほど治安がいいらしい。深夜の町は、道路は閑散としており、歩いているのは違法ドラッグ関連の人たちだとか。サンパウロやリオデジャネイロは町は美しいが、犯罪やデモが多発し、一人だとかなり危険だと現地の人に言われた。
言語はポルトガル語で英語に似ているがわからない。医学部だと1~2割の人が喋れてサポートしてくれた。
物価は日本の0.5~0.8倍くらい。食事はアメリカ、スウェーデン、タイ、ブラジルの中では一番のお気に入り。牛肉が特に美味しく、健康的な食事をとりやすかった。移動はUberがメイン。Uberは治安に関係ない素晴らしいサービスだと痛感。ラテン系で陽気な人が多く、終始騒いで笑っている。ブラジルは日系人も多く、日本人の勤勉さから、尊敬の目で日本人を見ているよう。こちらもwelcomeでブラジル人最高でした。
Q7. 留学中どのような人とかかわったか
・Airbnbのホスト
スウェーデン、タイ、ブラジルでAirbnbを使用。タイとブラジルは1日800円でかなり大きな家に住むことができた。ホテルとは違い生活感があって住みやすいし、必要なものはほとんど揃っている(調味料、洗濯機、アイロンとかはなくてもやっていけるが、あると安心みたいな)。でもそれよりも長期滞在となると帰属意識が生まれ、家族の一員のように生活するようになる。日常会話を楽しんだり、ブラジルでは何度もBBQに招待してもらったり、カラオケいったり。現地の自然な生活を感じられるのが最大のメリットだと思う。
・現地に住んでいる日本人
現地に住む日本人の視点だからこそわかる情報がある。
・現地の学生
勉強をサポートしてもらうだけでなく、一緒に遊びに行ったり、観光地に連れて行ってくれたり、一緒に勉強したり。文化の違いを認め合い、たくさんの友人ができて思い出ができた。
・海外からの留学生
有名な大学となるとたくさん海外からも留学生が来る。おかげで4カ国しか留学してないが、そのほかの文化や制度なども学ぶことができたし、沢山の出会いがあった。
Q8. 英語の能力はどう変化したか
留学3ヶ月前のIELTSを受けたが、speakingだけ圧倒的にダメだった。大学受験では英語を武器にしていたがリアルで使う英語には全く自信がなかった。speakingのテストがないだけに(2020年以降センター試験に加わるらしいが)日本人にとって共通して弱い分野だろう。
今回行った国は短期のアメリカ以外、母国語が英語の国がなかった。また目的が視野を広げることだった。加えて学術的なディスカッションや高度な英語力が必要とされることをしなかったことから、正直留学が終わった今もたどたどしいspeaking能力だ。けれども、理解できないことを「ふんふん」と誤魔化すことは減り、わからないことはしっかり聞く習慣がついた。また外国人と話すこと自体に抵抗や威圧感を感じていたが、今ではほとんどない。
また、外国では察する文化が日本に比べ弱いため、はっきり意見を持って言わなければならない機会が多い。そのため機会があることに、ある話題、議題に対して自分の意見を持つように心がけるようになった。結果的に流暢さとは異なるcontentsの面でspeaking能力は向上したように感じる。今後例えばアメリカとかで最先端の研究、臨床経験を積みたいというoptionが出てきたときに、努力すればなんとかなりそうな英語力にはなったと思う。
Q9. 留学のメリット/デメリットについて
-得たもの
・自分の時間を創造する能力。
今まで本来の目標というものをあまり考えず、受け身で過ごしてきた。今回の留学では、自分のcomfort spaceから完全に離れ、自分と向き合い、自分のやりたいことを探り、主体的に動けた。この経験は大きな自信に繋がった。
・アウトプットを目的とした勉強スタイル
海外の教育システムに感化され、how to study を勉強
・雑務をこなす能力、仕事術
留学前に4カ国の資料と奮闘
・海外の友人
一生の宝
・将来のオプション
世界は広い
・行動力と自信
一人でここまで作り上げ達成することができた。
・自分自身を見つめる時間
domesticな環境から抜け出し、0から自分と向き合えた。
・自分の意見を持つ、説明する能力
日本でももちろん必要だが、海外だとより必要性を感じられた。
・考え方の違う人を認める能力
留学でこの視点が得られるのは大きい。性格の前に宗教や人種、社会的背景が異なる多様な人と触れ合った。理解できなくても認められれば、それでいい。
・読書週間
意見を言うには知識が必要だ。
etc
-失ったもの
お金(将来への投資) 。親には将来返済します。
-得られなかったもの
流暢なspeaking skill
英語がnativeの国ではなかったし、それが目標ではなかったのでok
今後必要な場面で適応させます。
Q10. 現地で苦労した話について
ブラジルは時間にルーズ。人によるが30分後集合であったり、
・食事について。
割とどこでも日本人の口に合うレストランもあるし、
・移動手段について。
Uberがあるところだと困らないが、ないところもチラホラ(
・住む場所について。
だいたいairbnbでホストと過ごすが、ブラジルでは初め、
その後airbnbに移ったが、
Q11. 留学について意識し始めた時期とそのきっかけ
◯留学前の悩みについて。
1浪の末、大学受験に合格して意気揚々と医大生1年目を迎えるも、教養科目中心でモチベーションダウン。これが大学生活かとばかり部活と友人との生活を楽しむ。2年次より医学の基礎を学び始める。1年のブランクのせいか、勉強の方法が下手だったせいか、モチベーションの維持が出来ず、期末試験は再試にいくつかかかるも進級。解剖実習など体を動かすものに対しては意欲的だったが座学にはイマイチモチベーションが保てなかった。ここで留年生が10人くらいいた気がする。
3年、4年次は各論に入る。テストの難易度は高く、再試の人多数。座学中心。部活との両立でいっぱいいっぱいであった。各論に入ってもイマイチ意欲が出ない。勉強そのものは嫌いではなく、頭の回転は早くないが、努力する才能はあり、なんとかテストを切り抜けてきた.
ここで気づいた。初めは医者になり患者を救うということを入試の面接で話していたが、いつのまにか目標がどんどん短期的なもの、目の前の期末試験になり闇雲に勉強している自分に。今だけならいいが、医師になってから長期的なやりがいのある目標を見つられるのか不安だった。もちろん、社会に対する貢献度は大きくやりがいがあるとは思うが、現実に知り合いでも過重労働で亡くなった医師がいる。研修医になった人も、眠れない日々とストレスで、自分と向き合う時間はないという人も多い。そう思うと今一生懸命やっている勉強や、方向はあっているのか不安になった。一方どうして同級生の学士編入生の人、社会人を経て入ってきた人は、意気揚々と勉強しているのか、課外活動を頑張っているのか、と思いアドバイスを求めた。
すると自分のやりたいことがあるからだという人がほとんどで、アドバイスとしてボランティアやNGOなどの課外活動、留学を勧めてくれた。
私はこれだと思い、アドバイスをもらった2週間後に留学を決意した。本当にただの直感。なんとなく留学という響きと、モヤモヤを解決してくれるのは留学しかないという根拠のない直感。こういう直感に対する行動力だけは売りだった。
Q12. 留学後の展望について
海外でいろんな形で勉強し、いろんなスタイルで働いている人を見た。日本のことが大好きで日本語を勉強し、日本の領事館で働こうと努力しているスウェーデン人。タイ人を統率し、抜群の信頼を得ている居酒屋を経営しながら、老後の生活を楽しんでいる社長。老後、あるいは育児の後、自分の余った時間をタイの地域医療のボランティアの一員となって、精力的に活動しているひとたち。ブラジルで病院を作ろうと頑張る旦那さんと、日本とブラジルの二足のわらじで医者として貢献する奥さん。
常識にとらわれずに、自分のやりたい方向で、自分だからこそできるものを追求したい。まだカリキュラム上、患者と触れていないので、本当の意味で自分がやるべきものは見えていないが現時点では以下のように今後の展望を持っている。
私は生まれつき喘息とアトピーを患っている。同じように生まれつきの病気に苦しんでいる人に対する共感能力は高いと自負している。またそれらの病気はストレスによって、悪化されることがあるため、ストレスや健康マネジメントに関心がある。加えて今AIの分野は医療でも発展していて、医師の業務の大半を占める雑務は減っていき、医師の本来の仕事である患者と向き合う時間は大きいと思われる。まだAIでは与えられない「患者を納得させる能力」を学生のうちに意識して勉強したい。
いろんな立場の人と意見を交わし、チャレンジすることでやりたいことが立体的に浮かんで来れば、それ以上幸せなことはないと思う。
Q13. 留学へ行く前の自分へのメッセージ
海外はいつでも門を開いて待っている。
そして何より思い出に残っているのが人との出会い。
Q14. 後輩へのメッセージ
私は23歳で留学を決めた。大学生でいうと少し遅い決断だったと思うが、思いついた時が、最速。
他の国のことを知って、初めて自分の国のことがわかるし、自分の内面が見えてくることがある。
もちろん留学以外でも、そういうチャンスはあると思うが、その手段の一つとして、私は留学を強くお勧めする。
Q15. その他、言い残したことがあればどうぞ
Airbnbのホストとの生活や恵まれた出会いのおかげでホームシックにはならず、前向きに色々チャレンジできた。
思い返すと、休学・留学を決める前が一番苦しんでいた。内面を見つめ返すこともないまま、将来やりたいことも考える時間を全て目の前のテストや部活、友人との時間になんとなく費やしていた。先に医師になった先輩から、過酷な仕事に対する愚痴を耳にして、自分もこのままわけもわからず医学だけ勉強して、この一因になるのかとネガティブに考えることも多々あった。
でも自分で道を切り開いて、社会人を経て医学を志した人もいるし、臨床に行ってからも公私のバランスよく充実した医師ライフを送っている人もいる。そういう存在を傍らに、何か自分も能動的に一歩踏み出そうと思って、今日に至る。
一点の後悔もなく、自分の成長を楽しめる毎日だった。日本では与えられたルールのもと課題や実習をこなす一方で、自分で主体的、精力的に目指したいものに向けて、勉強したいと思う。