
将来への羅針盤を見つけたEHCプログラム in サンフランシスコ
一問一答コーナー
名前:とっしー
所属大学・学年:北里大学医学部4年
留学先の国:米国
留学先の大学(機関):Stanford大学
留学の期間:2週間 (大学3年次の春)
留学の目的:米国のヘルスケアシステムを学ぶため
留学の費用(概算):60万円
-学費:
-家賃:
-生活費:
-渡航準備(保険、航空券、Apartmentのdepositなど):ESTA申請、保険加入、パスポート更新
プログラム(仲介してくれた機関/人):VIA
利用した奨学金:なし
VISA:
保険:
留学中の住まい:VIAが用意したホテル
プロフィール
医学生です。昔は他の職業に就き社会を変えたいと考えていましたが、中学生の頃に家族が病に倒れて以来、医師を目指すようになりました。腫瘍、公衆衛生、医療経済・政策に強い興味があります。理系ですが好きな科目は英語と地理でした。サッカー、テニス、野球などのスポーツが大好きですが、本や新聞も意外と隠れて読んでいます。旅行、映画鑑賞は最近のはやりです。
サマリー
・留学を通じ自分の将来進むべき方向性がある程度定まった。自分と深く向き合う時間を貰った。
・留学を通じ英語力の不足を痛感した。
・留学を通じ日本と米国の医療をミクロ・マクロの両方の点から考察できた。
Q1. 留学中にカリキュラムで学んだことについて
真面目に書くと収まらないので(ごめんなさい本当に多いんです)、簡潔にまとめます。
①多様性、②LGBTへの理解、③医学教育制度、④性教育、⑤臓器移植の支援、⑥(研究を含む)医療イノベーション、⑦安楽死への理解、⑧医療の分業、⑨Gender gap、等の分野で、(一部であれ)日本は米国に学ぶべきことがあると考察しました。
一方で医療コストの低さ、国民皆保険や一部の医学教育システムなどに、日本の強みも見出されました。
日本は格差も比較的小さく、平和で、行きたいときに病院に行くことができ、本当に恵まれていると感じました。直感的にもこのままだと日本、医療崩壊するな、と痛切に感じました。
Q2. カリキュラム以外の、留学先ならではの現地での生活について
サンフランシスコはアジア系の私達にも寛容でした。やや寒いですが(そのくらいでうろたえるな笑)気候も比較的安定しており過ごしやすいです。物価は日本の1.5~2倍ほどで出費が多くなりがちだったので、朝食は現地の薬局で果物やヨーグルト、サンドウィッチを買うなどして節約しました。食事はハンバーガーを除き、日本のほうが断然口に合うと感じました(ごめんなさい西海岸の友人達笑)。一番美味しかったのはパンダエクスプレスです(笑)。
このプログラムは毎日課題が出され、夜一時くらいまで平気で課題に取り組みました。朝は遅くとも8時にはホテルを出ていたのでかなりきつかったです。タイトなスケジュールでした。
Q3. なぜその場所(国・大学)、その期間を選んだか
-場所について
低学年から申し込める留学プログラムが自分の所属する大学には無く、たまたま大学の掲示板に貼ってあるのを目にして申し込みました。元来、日本の医療制度に問題を感じており、米国など諸外国の医療制度をミクロ・マクロな視点から学ぶことで、より客観的に考察できると考えていました。福祉国家日本(本来は北欧なんですが)と夜警国家米国を比較したかったです。
-期間について
体育会系の部活動にも所属しているため、日程的に2週間は現実的な期間でした。
欲を言えば最低でも一か月は留学していたかったです。六年生になってから大学のプログラムに乗っかれば良いか、と潔く受け入れました。
Q4. 留学に至るまでの準備について
ワクチン接種歴の収集、ESTAの申請、保険の申請など面倒でした。作業が多くて厄介です。ワクチン接種歴は母子手帳を引っ張り出して確認しました。足りないものは近くの医療機関で接種してもらいました。免疫がつくまで時間がかかるので、余裕をもって作業するとよいと思います。
また、英語の書類は文字が小さく分量も多く、慣れていなかったので苦戦しました。ESTAは4000円を払い、旅行会社に代行してもらいました。保険は旅行会社から勧められたものに加入しました。サポートが厚すぎるので、絶対に生きて帰ってくると親に誓い笑、一番安く済むプランにしました。
わからないことはすべてVIAの方や旅行会社の方にメールをして、くどいくらい確認しました。
Q5. 準備、留学中の両方について、「こうしておけばよかった」と思う反省点と、自分なりに工夫してよかった点
英語力、とくにリスニング力が全く足りないと痛感しました。もっと英語を浴びるように聞き、シャドーイングしておくべきでした。日常的に英語に触れるのは容易ではないので、方法はいまだに模索中です。
一方、英語が不得手な中でも、ディスカッションにて物怖じせず発言し、また教授らに積極的に質問したのはよかったと思います。相手にどう思われていたかは不明ですが、何か考えて発言しようとしている奴くらいには思われていたと信じています笑。
Q6. 留学していた場所について
ゴールデンゲートブリッジ、ゴールデンゲートパーク、AT&Tパークなどの観光地は然ることながら、スタンフォード大学、カルフォルニア大学サンフランシスコ校およびバークレー校など主要な大学研究機関も集積しており、総合力が高い都市だと感じました。またいつか、必ず訪れたいと思っています。
Q7. 留学中どのような人とかかわったか
多数の日本人留学生、スタンフォード大学の医学生、メンターです。韓国系、ベトナム系、カンボジア系、英国人などもいました。スタンフォード大学の医学生、ヤバかった(ボキャ貧)です。オリンピックの金メダリストいるらしいです(笑)。音楽に秀でた人などもいて、現地では大谷翔平(二刀流)が普通でした(つらい)。皆意欲的で、かなり刺激的でした。また、スタンフォード大の教授、附属病院の先生方、ホスピスの職員、臓器移植を経験した患者、ゲイホスピタルの職員の方など多岐にわたりました。
Q8. 英語の能力はどう変化したか
やや向上しました。とくにスピーキングです。思っていた以上に通じることが分かった反面、スピードについていけないことも多かったので、リスニングは今後のトレーニングに対するモチベーションが向上しました。よくわからなくても何か発言する図太さ(元が細いから?笑)は手に入れられたかもしれません。日常会話についても知識が増え、適応力はやや増したと感じます。
Q9. 留学のメリット/デメリットについて
-得たもの
書ききれないくらいの経験をしました。米国の医療が日本と違いすぎていて、カルチャーショックすら受けました。外から日本を見ることは本当に勉強になると感じました。特記すべきは、将来これをしたい!というものが整理できたのが一番の収穫だということです。下に書いておきます。また、英語圏への若干の適応力、多くの素晴らしい友人達も手に入れることができたと思います。
-失ったもの
春休みを大学、小中高の友人らとすごす時間は少なくなりました。当たり前ですが(笑)
かなりお金がかかったので、投資してくれた親に心から感謝しています。
-得られなかったもの
特にありません。
Q10. 現地で苦労した話について
少し苦労したのは食事と言葉です。脂っこい食べ物が多くおなかを壊しました。私が日本人であることを痛感したシーンの一つです(?)。また、上記の通り、リスニングには苦しめられました。
そして最も苦労したのが風邪を引いたことです。謎の細菌に感染し、最終日は頭痛に耐えながら授業に参加しましたが、途中でKОされ、夜に熱を測ったところ38.9℃ありました。友人が持参していた解熱剤などで無理やりに頭痛を解消させ、とにかく日本に生きて帰ることを目標に頑張りました。まさか現地のスタッフに、英語でガチ診察を受けるとは夢にも思っていなかったです笑。ちなみにそこでの診断は、たぶんインフルエンザ、とのことでしたが、帰国後改めて別の医師に診察を受けたところ「細菌性です」と伝えられた次第です。完全な誤診というオチWWWW。でも聴診器一つで診てくれた現地のスタッフのおかげで安心できたので、とても感謝しています。ホテルの部屋が乾燥していて、喉がやられたのが発端だったので、それが反省点です。
Q11. 留学について意識し始めた時期とそのきっかけ
高校生のころから漠然と意識していました。日本の凋落ぶりをなんとなく感じていたので、世界に出ないといけないと感じていました。癌の研究がしたかったのですが(今もそういう気持ちがありますが)、世界の研究者と様々なアイデアをシェアしないとより良い発想など生まれないと、子供ながらにまじめに考えていました。
Q12. 留学後の展望について
腫瘍内科医になりたいと強く考えるようになりました。大学入学後、医療を取り巻く様々な情報にふれ、選択肢が増えすぎて少し困っていましたが(贅沢野郎(笑))、生まれて初めて結構決意できました。帰国後、さっそく行動に移し始めています。すると決めた時には、研究も起業も社会活動もできる腫瘍内科医でありたいです。(四刀流(笑))道のりはかなり険しく壮絶なものだと予想していますが、めげずに頑張りたいです。
Q13. 留学へ行く前の自分へのメッセージ
早く、留学しろ。あと、英語勉強しろ。全てにおいて、努力が足りない。
Q14. 後輩へのメッセージ
もしお金と時間があるのであれば、学生時代に日本を出ることは大切なことだと思います。進化した自分や、違った価値観に出会えるはずです。ぜひ勇気を出して積極的に留学、研修等にアプライしてください。きっと行って良かったと思えるはずです。できれば明確な目的を持っていくとなおよいと思います。
Q15. その他、言い残したことがあればどうぞ
なかなか認めてくれなかったけど最終的に応援してくれた親父、本当にありがとう。そして、素晴らしいメンバーに恵まれ、かけがえのない経験をさせてもらえたことは一生の財産です。すべての関係者にお礼を伝えたいです。