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研究大国アメリカで基礎研究と異文化交流の5ヶ月間

  • 著者:松本 千慶(東京医科歯科大学医学部 6年生)
  • 投稿日:
  • 国名:
  • 派遣先機関:ネバダ大学医学部
  • 留学目的:基礎研究

一問一答コーナー

名前:松本 千慶(CHIHIRO MATSUMOTO)
所属大学・学年:東京医科歯科大学 医学科5年
留学先の国:アメリカ合衆国
留学先の大学(機関):ネバダ大学医学部
留学の期間:2017年6月~11月(医学科4年次)
留学の目的:基礎研究
留学の費用(概算):約110万
-学費:0
-家賃:約38万($660*5)
-生活費:約 30万
-渡航準備(保険、航空券、Apartmentのdepositなど):約42万
プログラム(仲介してくれた機関/人):プロジェクトセメスターという学内のプログラム (学校の先生が仲介)
利用した奨学金:JASSO(8万*6ヶ月=48万)
VISA:J1 VISA
保険:OSSMA会員専用海外留学保険(プランB)
留学中の住まい:学生が住むアパートメント

プロフィール

広島県出身。幼い頃から格差問題に興味を持ち、将来は国連の機関などに勤め、格差をいくらか無くすための仕事に就きたいと考えていた。
東京大学で途上国の開発問題や食料問題について学んでいたが、卒業目前に予防医学に興味を持つきっかけがあり、将来は専門職として働きたい、予防医学のプロとしての医師となり国内外問わず活躍したいと言う思いから、東大卒業後に東京医科歯科大学医学部医学科に2年次編入学。現在は5年生でポリクリの真っ最中。
予防医学の他、グローバルヘルス、外科系に興味がある。
アカペラ部の活動やアルバイトの傍ら、予防医療普及協会の活動やイノシルのサイト運営に尽力している。
ロールモデルは緒方貞子さん。

サマリー

・世界中に友達ができた
・完全に現地の学生になりきった生活
・文化の違いをたくさん知り、それらを理解しようと努めた
・研究を続けることの大変さを思い知った

Q1. 留学中にカリキュラムで学んだことについて

2017年6月から11月までの5ヶ月間、4年次のカリキュラムに組み込ま れている「プロジェクトセメスター」という期間を利用し、自身が通う大学と提携しているネバダ大学医学部の研究室で、腸管運動に関する基礎研究を行わせていただきました。
マウスの大腸を用いることによって、交感神経支配による腸管運動の研究を行い、最終的には“The presynaptic effects of the sympathetic nervous system on murine colon”という研究タイトルでポスター発表をさせていただきました。

<↑ポスター発表の様子>

実際の研究内容は、幸い事前に教授から提示されていたテーマのままであったため、日本で予習していた内容がそのまま活かされまし たが、最終的にどの部分に絞って発表するかは、研究を進める中 でsupervisorの先生と相談して決めました。 基本的に研究するのは月曜日から金曜日まで、9時から17時まで 研究室に滞在し、実験を行っていました。(アメリカ人は17時にな ったら皆帰ります)
毎朝マウスを解剖し、実験で用いる大腸を取り出すところから始 まります。初めはなかなか慣れることが出来ませんでしたが、少し ずつサンプルの筋切片を上手に作ることができるようになりまし た。
とても小さく繊細な臓器なので、とても用心深く作業を行うの ですが、特にmucosaとmuscleを分離する作業がとても大変です。

 

<↑ネバダで使用していた実験装置>

作成した筋切片にtensionをかけたり、薬剤を加えたりして収縮の様子を観察するのですが、筋が収縮している様子をforce transducerを通して波形からうまく観察できると、やはり達成感があります。データ数を増やすために同じ実験を来る日も来る日も行うことは、未熟者の私にとっては少し大変でしたが、それと同時に、研究に従事する研究者およびPhDの学生に対する尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

実験を始める前には、Supervisorの先生と共に、自分の仮説を証明するためのロジックをいつも考えていました。2年次に習ったはずですが忘れかけていた生理学および解剖学の知識を総動員させ、他人を説得させるための仮説の立て方をここで初めて学ぶことができました。そして、その仮説を証明するためには、出来るだけ多くのデータを集める必要がありました。Muscle stripsがincubatedされているchamberに加えるdrugの組み合わせによってProtocolが10程度あったるのですが、それぞれのプロトコルに対し少なくとも4つずつ、4種類のTissue sample(Proxi mal circular, longitudinal, Distal circular, longitudinal)においてデータを集めなければいけないため、果たして帰国するまでに間に合うのかなと、プレッシャーは常に感じていました。幸運にも、次第に自分の外科的スキルが上達するにつれ、作業も迅速に行うことができるようになり、分析するに値するデータも集まりやすくなりました。

<↑お世話になったSanders教授>

私の研究テーマは従来の定説を覆す発見であるため、とても面白いなと感じましたが、自分たちの仮説を証明し相手を納得させるためには、どこを突っ込まれてもいいように、どこにも落ち度がないようぬかりなくロジックを組み立てる必要があるということも同時に学びました。研究を行い始めた頃はあまりうまく結果が出ず、先生からもプレッシャーをかけられて泣きそうになりながら研究室に通っていましたが、それすらも懐かしく思えます。無事結果も出て、自分の仮説も証明できて、ポスター発表に臨めて本当に良かったと思いました。

また、海外の研究室では結果を出してグラントを取れるか否かが、自身のキャリアに大きく影響することも学びました。つまり結果を出せなければ、お金がなく研究室を閉鎖しなければならず、職を失うことになるのです。とは言え、現地の研究者の方々は毎日根詰めて働くようなことはせず、17 時になるとキッパリ作業をやめ帰宅する姿が日本とは全く異なるなと思いました。

<↑研究チームのメンバーとSUSHI>

Q2. カリキュラム以外の、留学先ならではの現地での生活について

平日は研究でいっぱいいっぱいでしたが、週末は基本的にフリーでしたので、毎週のように友人と どこかに出かけていました。Partyに参加したり、プールで泳いだり、旅行に行ったり、color runに参加したり……ここでは伝えきれないほどの想い出がたくさんあります。旅行では、Los Angeles, San Francisco, San Diego, Seattleなど、 西海岸の色々な所に赴きました。

また、研究室の学生のみならず、ネバダ大学の医学生、アメリカに留学している学生や、友人の友人など、実に多方面にたくさんの友人ができたことが今回の留学での一番の収穫だと思います。今回の研 究留学で一番達成したかったことは、コミュニケーション能力および 英語の能力を向上させることでしたので、自分から積極的に遊びに 誘ったり、自分の要望や意見をハッキリ言ったりするように心がけて いました。それはいくらか達成できたように思います。自分が帰国する 前にはいろんな人にメッセージカードや餞別の品をいただくことが出来て、farewell partyも何度か開いてもらって、本当に感動しました。研究ではつらいこともたくさんあったけれど、頑張ってきてよかったなと。

<↑同じ研究室のメンバーとアメフト観戦>

そしてRenoは完全に車社会なので、スーパーに行くにも友人のお家に行くにも車が必要になってきます(もちろんUberも利用できますが)。ですから、できるだけ友人に頼んでお出かけするようにしていました。アメ リカの学生は基本的に4-5人で1部屋をshareするような形のApartmentに暮らしているのですが、 私もまったく同じ生活をしていました。リビングとキッチンは共用で、BedやBathroomは皆それぞれ 個室に設置されている形です。冷房の温度や冷蔵庫の中身のことで喧嘩をすることもしばしばありましたが、それも今となってはいい思い出です。

<↑友人とcolor runに参加♪>

Q3. なぜその場所(国・大学)、その期間を選んだか

ー場所について
大学の提携校の所在地としてアメリカ以外の選択肢は、イギリス・オーストラリア・チリ・タイ・ガーナがありました。私は医学部に入る前に初めての長期留学(UC Davisの研究室に2ヶ月インターン)をアメリカ西海岸で経験したため、アメリカでの生活というものに少し慣れており、いくらか勝手がわかっている状態でした。今回も現地に着いた後にすぐに環境に馴染むことができるのではという淡い期待と、前回よりはもっとパワーアップして帰ってきたいというメラメラした思いからアメリカを選択し、運よく希望が通る形となりました(実際は派遣生として 学校から選んでいただきましたといった方が正確ですね)。
それともう一つ、私は野球観戦が大好きで、幼い頃からLA Dodgers stadiumで野球の試合を観るのが夢でした。それを叶えるべく選んだと言っても過言ではありません(笑)しかも運よく、大ファンである前田健太投手の登板日に観戦することができ、本当にアメリカを選んで良かったなと、心の底から思いました。 ネバダへの派遣は私たちの代で2回目だったのですが、昨年ネバダに留学されていた先輩方が生活の基盤グッズ(調理器具・食器・布団など)を既に購入してくださっていたので、その点はとても助かりましたね。

ー期間について
留学期間は学校のカリキュラムで設定されていたので、皆5ヶ月でした。それ以上でも以下でもありません。

Q4. 留学に至るまでの準備について

留学の派遣先が決まったのが前年の12月であったので、残りの半年間を準備に費やしました。
-研究室とのやりとりについて
まず研究室に受け入れてもらえることが決まったら、受け入れ先の研究室の教授にCurriculum Vitae(履歴書)とPersonal Statement(自分の研究に対するやる気と動機)を送ります。ネイティブの先生方に何度も添削していただいて作成しました。それと同時並行で、VISAの申請に必要な書類を集めました。住民票、納税証明書、保護者預金残高証明書などは翻訳業者に依頼して公証人となっていただき英語で翻訳してもらいました。一番時間がかかったのは、向こうの大学から送られてくるDS-2019という書類でした。
何度か催促のメールを送りましたが、2ヶ月くらい待ちぼうけだったように思います。必要書類が全て集まると、日時を予約してアメリカ大使館に赴きます。簡単な面接を受けることになりますが、大使館に行ってからVISAが届くまでは、なんと1週間でした(私が申し込んだのはJ1-VISAです)。オーストラリアに派遣された友人は半年弱かかったと聞いたので、それに比べるとかなり早い方だと思います。
研究に対する準備としては、教授の執筆した論文を時間の許す限りたくさん読んで、その周辺知識を教科書などでおさらいし、研究内容を十分に予習した上で臨みました。幸い事前に教授から与えられたテーマと変更なく研究を進められたので、安心しました。

-住まいと保険とVisa、その他について
次に、家探しです。これには本当に苦労しました。後で述べます。住まいが決まった後に、航空券を購入しました。それから保険にも加入しましょう。私は学校の決まりでOSSMAに申し込むことが義務だったので、保険もOSSMA会員専用の海外留学保険プランBに加入しました。5ヶ月分で両者合わせて95,000円くらいでした。
その他、渡航直前には歯医者さんに行ってメンテナンスをしたり、常備薬を大量にもらうために病院に行ったりとバタバタしていた記憶があります。あと日焼け止めも大量に買いましたね。アメリカの製品は正直言って質が悪いので。ホームシックにならないようにインスタントの味噌汁やカップラーメンなど日本食もいくらか買って持っていきました。

Q5. 準備、留学中の両方について、「こうしておけばよかった」と思う反省点と、自分なりに工夫してよかった点

家探しをもっと時間をかけてするべきでした。Craigslistというアメリカでとても有名な又貸しサイトがあり、はじめはそちらで探していましたが、私が留学していた期間が、アメリカではセメスターの途中から途中までという何とも中途半端な期間であったため、6-11月の間のみ住めそうな家は見つかりませんでした。
アメリカのapartmentはほとんどが1年契約で(8月開始7月終わり)、基本的に途中で契約を切ることは認められません。又貸しする相手が見つからなければ、ずっと家賃を払い続けなければなりません。
現地の医学部のスタッフさんが予めapartmentの経営者と話し合いをしてくださり、どうやら2ヶ月分の家賃をdepositとして払えば、契約を放棄して日本に帰っていいということになっていたのですが(そう信じていた)、実際は現地に着くと、apartmentのスタッフにそんな話は聞いてないと言われました。
何度も話し合いの場を設けましたが解決には至らず、かなり揉めましたね(笑)。学校のスタッフとはいえ、人の言うことを簡単に信じるべきではなかったと反省しました。日本に帰ってからも住んでいない家の家賃を払い続けるのは酷なので、アメリカにいる間はCraigs listで又貸しできる人を必死に探しました。何十人とやり取りしましたが、契約するに至った人はいませんでした。結局、問題は解決しないまま帰国することになり、家賃の支払いも放棄し、後に医学部の先生方が解決してくださったものと思われます。
契約を破るとcreditにキズが付いてしまい、いつか自分がアメリカの銀行のアカウントが作りたいとなった時や家に住みたいとなった時、契約が出来ない可能性が出てくるのです。そのような懸念もありましたが、貧乏学生に家賃を支払い続ける能力はないので、契約を勝手に放棄し逃げてきました。学校から少し離れていても月額で支払うことが出来たアパートに住むべきだったのかなと思いました。
キャンパス内の寮に住むことができないかと交渉しましたが、私達のように中途半端な時期に住む部屋の空きはありませんでした。何度も医学部の先生方や研究室の先生に相談したことが奏功し、この問題は日本に帰ってから解決されたようです。恥ずかしがらず、先生や学生などいろいろな人に相談したことが良かったのかもしれません。

Q6. 留学していた場所について

私が暮らしていたNevada州のReno市は、Nevada州の北西部に位置する商業、観光都市であり、Las Vegasに次いで州内で2番目に大きい都市として位置づけられています。

<↑Downtownにあるアーチ>

Las Vegasと共に”Casino city”とし ても名高く、この街の愛称は“The Biggest Little City In The World”な のです。気候ですが、夏は日本と同じくらい暑いにもかかわらず、乾燥地帯であるため夜は日本の秋と同じくらい涼しく、とても過ごしやすかっ たです。海抜高度は1300mと割と高めだったので、毎日が高山トレー ニングでした(笑) Lake Tahoeというとてもきれいな湖が有名な観光ス ポットなのですが、滞在中3回は行ったと思います。ちなみにSanFranciscoまでは車で4時間程度で辿り着きます。物価は日本とそれほど変わらないか、物によってはやや高いといった程度だと感じました。また、Renoで暮らす人々は、アメリカ西海岸特有 の温暖な気候の影響か、リラックスしていて、温かい性格の人が多い印象を受けました。

<↑リノと言えばLake Tahoe>

Q7. 留学中どのような人とかかわったか

研究室には研究者の方以外にPhD取得を目指す学生、それから医学部受験を目指し研究経験を積むために通っているundergradの学生など幅広い年代の方がおり、PhDの学生とはよく一緒にBBQをしたり飲み会を開いたりしていました。アメリカの学生は基本車を所有している子が多いので、undergradの学生にはよくスーパーマーケットやハイキングに連れて行ってもらいましたね。それからRoom mateもタイミングが合えば買い物に連れて行ってくれたり、ゴルフが上手な子は打ちっぱなしに連れて行って教えてくれたりしました。

私の所属する研究室にはUniversity of Manchester(UK)および Queen’s University Belfast(Ireland)から留学している学生が合わせて12人おり、住んでいたアパートも一緒だったので、そのメンバーとはよく出かけていました。同じくヨーロッパ圏からネバダ大学に研究以外の目的で留学している学生が多数いましたので、Whats appでグループを作り、ホームパーティーを頻繁に開いたり、一緒にUberをシェアしてスーパーに行ったり、娯楽施設に遊びに行ったりしました。留学中一番仲良くしていたのはこのコミュニティといっても過言ではありません。私が帰るときにはfarewell partyを盛大に開いてくれました!

<↑マンチェスター大学からの留学生>

それから、ネバダ大学に通う医学生を副医学部長の先生に紹介していただいたので、時折食事に出かけたり娯楽施設に赴いたりしました。アメリカの医学生ライフについての話をたくさん聞けたこと、お互いの自国における医療についてdiscussionできたことはとても良い思い出です。やはり現地の医学生は日本の医学生より志が高いなと感じました(すでに大学を出ていて少し大人だからかもしれませんが)。

その他、部活動にも少し参加しました。医科歯科ではアカペラ部に所属しているので、それに類するGlee clubに夏から所属し、週に一度参加できる日は行っていました。

日本人のコミュニティにも参加しようか迷いましたが、ほとんどが短期語学留学で来ている学生だと聞いたので、方向性が違うなと思い参加しませんでした。

フットワークを軽くすれば、友達は山ほどできます。留学中は行動力が試されるなと改めて思いました。

<ネバダ大学医学部の医学生とDinner♪>

Q8. 英語の能力はどう変化したか

留学前のTOEFL-iBTのスコアでは特にReadingのスコアが著しく低かったので、現地ではたくさん論文を読むよう努めました。speakingに関してそれほど不安はなかったですが、電話でいい加減な対応をされた時や、自分が納得できない対応をされたときなどには現地の人と対等に口喧嘩できるほどになって帰りました。speakingはかなり伸びたと思います。医学部の先生方とメールでやり取りすることが多かったので、目上の人にメールを送るのはいくらか上手になったと思います。現地の若者とはWhats appやi messageで頻繁に連絡を取っていましたので、若者だけが使うような言葉もたくさん覚えました。基礎研究に関しては、あらゆる専門知識を英語で理解することになりましたので、日本語で理解して説明するのとは全く違った思考回路で研究できたと思います。大学でいろいろな講義を聴く機会がありましたが、その度Listening力も伸びているなということを実感できました。

Q9. 留学のメリット/デメリットについて

ー得たもの

いろんな国の出身の友人ができました。アメリカには、ヨーロッパ圏・南アメリカ・アジア圏などの様々な地域から語学留学目的・研究目的で来ていますので、いろんな国のことを知ることが出来ました。なかでも日本人はかなりマイノリティな存在なので、かわいがってもらえました。自ら積極的にコミュニケーションを取ろうと試みればすぐに友達ができるところは、西海岸ならではだなと思いましたね。そのようにたくさんコミュニケーションをとっていたことで、英語の力はかなり伸びたと思います。友人にも、「アメリカに到着した直後に比べると雲泥の差だね」と言ってもらえたほどです。初めは現地の人が早口で話すのを聞き取ることが難しいと感じる時期もありましたが、帰国前にはそのようなことはなかったですね。暇な時は友人とNetflixを良く見ていましたが、字幕なしで映画やドラマも見れるようになりました。

それから、日本の良さを改めて感じる場面もしばしばありました。やっぱり日本食は美味しいですし、サービスのクオリティは最高レベルです。

ー失ったもの

お金です。留学するまでにアルバイトをして貯めたお金は、ほとんどなくなりました。奨学金はほとんど家賃に消えたので、生活費や旅行に行くお金は自分で何とかしました。親からもいくらかサポートしていただけたのは本当に助かりましたね。J1-Visaの学生は現地でアルバイトをすることが許されないので、貯金が尽きないように常に気を付けていました。金銭的に余裕をもって留学したかったです。あとは当然ですが友人や家族と長らく会えなかったことや、プロ野球のナイターをあまり見られなかったことくらいでしょうか(日本のナイターはアメリカではちょうど深夜の時間帯になります)。

ー得られなかったもの

特にありませんが、強いて言うなら、ネイティブと同等の語学力は身につかなかったという点です(半年間なので限界があるのはわかっていましたが)。留学生の中ではいい方、という程度でしょうか。でも、半年間で語学力はかなり成長したと思います。

Q10. 現地で苦労した話について

まず単位がいろいろ異なります。kmではなくmile、gではなくpond、℃ではなく℉など挙げえるとキリがないですが、それらに慣れるまでに時間がかかりました。車の運転に関しては、車線もハンドルも日本と真逆なので初めは少し戸惑いましたが、こちらは割とすぐに対応できました。それから、アメリカ人と我々アジア人とでは体感温度が全然違います。研究室やアパートの部屋でのクーラーの設定温度はデフォルトで20℃でした。普通に寒いです。羽織るものは必須でした。

それから、日本と比べて仕事は結構適当です。何度もいらいらしましたし、我慢する体質ではないので文句も言いまくりました。例えば、電気やガスの契約をしようと電力会社に電話をすると、契約に必要なものとしてリストアップされるものが3人に聞けば3通り出てくるのです。どれが正解だよ。日本ではありえないことですが、仕事はあまりプロフェッショナルとは言えません。慣れればへっちゃらですが、それまでは結構イライラしました。それから、悲しいことですが、Racistは少なからずいます。侮辱されたら無視するか、ちょっとキレていました。幸い現地の友人は私の味方でいてくれたので、いつも守ってくれました。

Q11. 留学について意識し始めた時期とそのきっかけ

幼い頃から国際機関で働きたいといった夢はありましたが、自分は帰国子女でもなく、英語のレベルも国際機関で活発に議論できるレベルには現時点では到底達していません。そのため、上記の夢を叶えるべく、学生の間にはより多くの海外経験をし、文化の違いを理解することに努めたいとかねてより思っておりました。学校のカリキュラムで4年次に最大5ヶ月間留学できることは入学前より知っていたので、何としてでもその枠を勝ち取りたいと入学当初より思っていました。そのため、学校の試験ではいい成績を治めるよう努め、毎週プラスαで受講していたHealth Sciences Leadership Program(グローバルヘルスについて完全英語制で学ぶ講座)の授業も真面目に取り組みました。

Q12. 留学後の展望について

幼い頃から格差問題に興味があり、衣食住に対するアクセスや、生活に必要なライフラインに対するアクセスの格差など、様々な格差をいくらか無くすことが目標であり夢でした。

そのうち健康問題は、人が生きていくうえで切っても切り離せない問題であり、医療に対するアクセスの格差、医療情報に対するアクセスの格差は、他国のみならず国内でも問題となっています。

世界中には、以上のようなアクセスの格差や情報の格差が原因で、防げたはずの病、治せたはずの病に苦しむ人が実に多く存在します。将来は、予防医学を適切な形で推進したり、正しい医学知識の情報発信に携わったりすることで、グローバルヘルス分野で国内外問わず活躍したいと考えています。キャリアを形成する中で、どこかのタイミングで国際機関で働きたいですね。

また、日本国内に滞在する外国人の方も増えているので、来年度2ヶ月の海外臨床実習を経て、患者さんを英語でスムーズに診察できるようにもなりたいです。

Q13. 留学へ行く前の自分へのメッセージ

友達100人できますように。論文嫌いが治りますように。

Q14. 後輩へのメッセージ

迷っているならチャレンジした方がいいと思います。奨学金も探せばたくさんあります。社会人になってから、学生の時に少しでいいから留学しておけば良かったなと言う人は実際とても多いです。

<年に一度のBallon showは圧巻でした!>

Q15. その他、言い残したことがあればどうぞ

医科歯科の4年次のうち海外に留学している学生が、世界各国からブログを更新しています。良かったら見て下さい。

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